市民科学者を育てる
そこで私は特定非営利活動法人「放射線衛生学研究所」を母体に、「市民科学者養成講座」と名付けた講座を各地で行っています。「市民科学者」とは高木仁三郎先生の著書『市民科学者として生きる』から付けたもので、原発事故以後の日本で生活する上での重要なキーワードだと思っています。
私がこの言葉にこだわるのは、専門家の視点だけでは放射能汚染の実態が正確にはつかめないからです。専門家は土壌を取って調べることはできます。しかし、その地域で子供たちがどのように遊び、どんな場所に行きたがるのかは知りません。また、汚染地図における線量の違いの理由も、実際にそこで生活している人でなければ分からないことが多いのです。
「市民科学者」の力を感じるのは次のようなときです。
いわき市に志田名地区というホットスポットがあります。一昨年の五月の時点で毎時一〇μSvを超える線量があったにもかかわらず、行政からは放置されていた一四〇名ほどが暮らす地区です。私は住民の方々と七一三ヵ所に及ぶ地点で放射線量を測定し、市や県、国に汚染地区であることを認めさせるために地図を作りました。地図作りでは全ての田畑、住宅を一メートルと一〇センチの高さで調査し、五〇メートル四方の網をかけて汚染の値を記していきました。
この志田名は私のホームステイ先の一つでもあるのですが、汚染地図を作り上げたとき、地元のある男性が地図を見て「先生」と声をかけてきました。
「ここさ集会所あんべぇ、集会所を境に上と下とで(汚染の高さを示す)色が違うべ」と彼は言うのです。「この集会所は下が雨のときも、上は雪なんだ」と。
三月一五日に大量の放射能雲が通過したとき、志田名地区で雨が降っていたことは地域の方の日記から判明していました。ところが同じ日、集会所より上は雪だったと彼は言うわけです。雪の積もる場所では、放射性物質が洗い流されず、土壌にゆっくりと浸透していく。雪と雨では後の汚染がこれほど違うのか、と私が驚いていると、彼はさらに地図の高線量の場所を示して続けました。
「先生、あとこの場所も高いだろ。これは雪が吹きだまるところなんだよな」
これは外から来た専門家には見えない汚染されやすい場所が、その町に暮らしてきた市民科学者には見えるということを意味しています。
よって私は「市民科学者養成講座」を開催するとき、「みなさんは市民科学者です。市民科学者として知り得る情報には、僕が知らないものがたくさんあります。それを教えてください」と必ず語りかけています。分からないことを彼らに教わりながら、ともに考え、一つひとつの問題に向き合い、自分たちなりの答えを一緒に出していくのです。
私の専門家としての使命は、福島に暮らす人々の中で粘り強く調査を続けることであるとともに、こうした「市民科学者」を一人でも多く育てていくことです。
福島の再生の形はまだまだ見えません。だからこそ、専門家としての自分がそのようにできることを、たとえ小さくとも粛々とやっていかなければならない。今後も私自身の生活の一部としてこの問題を考え抜き、決してくじけてはならないと自分に言い聞かせながら、活動を続けていきたいと思っています。
文・木村真三(「新潮45」掲載)/写真提供・中島麻実