【図2】 「モーセを拾うファラオの娘」(頁表裏) 『パンプローナの聖書』 パンプローナ 1200年頃 アウグスブルク大学図書館蔵
ファラオの王女が「水浴びをしにきた」ことに着目して、王女を裸に描くことがあります。1200年頃、スペインのナヴァーラ王のために作られた『パンプローナの聖書』では、川のなかに3人の裸婦が描かれています(実物はカラーです)【図2】。波のうねりもおおらかで、娘たちのさざめきが聴こえてきそう。表(左)は、水に浮かぶモーセを発見したところ。赤ちゃんモーセのまっすぐ伸ばした左手がいたいけです。頁をめくると、王女がモーセの入っている箱をつかんでいます。この主題は、裸婦を描くよい口実でもあるので、とくに17世紀以降、多くの作例があります。
【図3】 「殺人を犯すモーセ」 ヴェズレー サント・マドレーヌ修道院聖堂柱頭 12世紀
ファラオの宮廷で何不自由なく育ったモーセでしたが、ある日、エジプト人がイスラエル人に暴力をふるうのを目撃します。憤ったモーセはエジプト人を殺してしまいます。モーセの名前は新約聖書で80回も言及があるほど、キリスト教の偉大な人物ですが、モーセが殺人を犯す場面はめったに描かれません。ヴェズレーのサント・マドレーヌ修道院聖堂の柱頭はめずらしい【図3】。頭髪をつかまれ、胸元を刺されたエジプト人の男の、ぶらんと下がった左手が印象的です。殺人が発覚し、モーセはエジプトを離れます。
その後、モーセはミディアンの荒れ野で羊飼いとして暮らしていました。転機となったのが、「燃える柴」と呼ばれる事件です。あるとき、羊を追ううちに、神の山ホレブに迷い込みます。そこは古くからの聖地。燃えても燃えても燃えつづける柴の間から神が現れ、モーセに履物を脱げと命じ、エジプトで奴隷となっているイスラエルの民を救う決意を語ります。
「わたしはエジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。」(「出エジプト記」第3章7-8節)
モーセは神の名代としてエジプトへ戻り、ファラオと交渉するよう命じられるのですが、「なぜボク?」と承知しません。「『主がお前などに現れるはずがない』と信用されなかったらどうしますか?」とごねると、神はモーセに3つの奇跡を授けました。蛇に変身する杖と、懐に出し入れするたびに皮膚病になったり治ったりする手、そしてナイル川の水を地面に撒くと血に変わるという奇跡です。それでもなお、口下手だからイヤだと渋るモーセを、神は我慢強く説得するのでした。