いわき駅前の繁華街の隅に「夜明け市場」という名の復興飲食店街がある。居酒屋や盛岡じゃじゃ麺屋、カフェなどが並び、夜になると雪洞の灯りが五〇メートルほどの路地を橙色に染める。
長野県出身の山越礼士さんは、その入口近くに店を構えるフルーツビールの店「」の店主だ。
「最初は震災前に仕事で知り合った知人と一緒に店を作り、一昨年の一二月にオープンしました。奥さんが郡山の出身の人で、福島で少しでも何かをしたい、と誘われました。その彼が東京に戻るときに店長を探したのですが見つからず、僕が残って店を続けることになったんです」
山越さんは震災前、東京でイベントの企画制作の仕事をしていた。もともとフリーランスの立場で、独身でもある。よって「いわきで飲食店を手伝ってくれないか」と声をかけられたときも、それほど思い悩むことはなかった。
「六月に石巻でボランティア活動を経験して、東北で何か自分にもできることはないかな、と漠然と考えてもいたんです。それが僕の場合、たまたまいわきと縁があったということですね」
店を始めた当初は、住宅不足でアパートが見つからなかった。住みたくても住む場所がない――それがいわき市に来て初めて直面した福島県の実情で、しばらくは店の二階に寝袋で寝泊まりした。
一年以上にわたって、彼は店のカウンターから原発事故がもたらした街の変化を見続けてきた。
店には様々な人たちがやって来ては、酒を飲み、ときには見知らぬ者同士で話をしていく。楢葉町や双葉町からの避難者、福島第一原発で働く作業員、風評被害に悩む農家。除染作業のアルバイトをする二〇代前半の若者が、「それで元手を貯めて店をやりたいんです」と夢を語ることもあった。
「ここにいて何より心が痛いのは、原発事故で避難した方々が、ときどき補償金の問題で陰口を言われることです。たまたま店でそんな話になり、傷ついたまま帰っていく人もいるのが悲しいですね。逆に仲良くなる人たちも多いのですが……。いまの福島では、一見しただけでは見えない社会的な問題がくすぶっているんです。それぞれの人たちに言い分があって、聞けば気持ちも分かる。それもまた原発事故が生み出した大きな被害なんだな、とここに来て実感しています」
夜明け市場では富岡町の店主が経営する「クウカイ」、津波で大きな被害を受けた市内の久之浜地区の和食店「魚菜亭」なども軒を連ねる。
「いまはまだ店を続けることで精一杯です。でも、お客さん同士が仲良くなってバンドを組んだり、一緒に遊びに行ったりということも増えてきました。『おまえは楢葉か、俺はいわきなんだ』『僕は長野から来た』という風に、この店を地元のコミュニケーションの場の一つにしていきたいです」