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  • [著者]稲泉連(いないずみ・れん/ノンフィクション作家)
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故郷いわきの被災者支援NPOで/鵜沼英政|震災後、福島に移住した人たち|特集 二年後の被災地にて 「新潮45」13年3月号



 福島県いわき市の郊外、閑静な住宅街の広がる中央台地区に、広野町と楢葉町からの避難者が暮らす仮設住宅がある。それに事務所が隣接するNPO法人「みんぷく」の専従スタッフ・鵜沼英政さんは、昨年一月に東京から故郷であるいわき市のアパートに引っ越した。
「震災前はいわきに戻ろうとは考えていませんでした。それが昨年の一月、文科省が発表するセシウムの降下量の数値が上がったとき、地元や家族のことが本当に心配になって――」
 高校を卒業後、茨城県の大学の理系学科に進んだ。就職してからは何度かの転職を経験、震災時は世田谷区の沖縄料理店で店長をしていたという。故郷のいわきという街に対して、特段の思い入れはなく生きてきたつもりだった、と彼は話す。同市の空間放射線量は低く、いち早く安全宣言も出されていた。三陸沿岸の街でボランティア活動をした時期もあったが、東京での「日常」の中で震災のことは徐々に意識から離れつつあった。
「でも、その文科省のデータをホームページで見たとき、また事故当初と同じような不安な気持ちが芽生えてきたんです。こんなに心配になるということは、きっと自分はいわきのことが好きなんだな、とそのとき生まれて初めて思いました」
 若者の多くが高校を卒業すると、進学や就職で自分のように街を出ていく。原発事故の影響が長引くのであれば尚更、若い世代が街に戻ることで少しは何かができるかもしれない、と思った。
「震災直後は『避難した方がいい』と散々言っていましたから、両親には『何で帰ってくるんだ。東京にいた方がいいんじゃなかったのか』と逆に心配されました。今から振り返れば、電気もガスも水道もなかったあのときも、家族はみな大変だとは全く言いませんでした。『大丈夫だから、おまえはそっちで生活していろ』と。それが親の愛情というものだったのでしょうね」
 市内にアパートを借りて実家の農作業を手伝う傍ら、環境保全のNPO団体に参加。津波で枯れたクロマツなどを植え替える活動を続ける中で、知人から「みんぷく」の専従スタッフに誘われた。
「ゆくゆくは実家の農業を継ぎたい」
 将来についてこう語る彼は、震災によって「故郷」を自分の内側に再発見したのだろう。
「津波で流されてしまった沿岸に、薄磯という海水浴場のある町があるんです。震災前は灰色がかった暗い色をしていたはずのその海が、津波で泥が巻き上げられたからか、見たことがないくらい青くて綺麗な色をしているんです」
 失われた思い出の風景を見ながら、彼は記憶の中にある同じ場所を思い返す。
「忘れないで欲しい、視察でも何でもいい、ここに来て多くの人に見て欲しい」 
 そんな思いが自然とわいてきた。
 今ではこの街を「好きだ」と、素直に答えることができる。
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