「アブラハムの饗応」 サン・ヴィターレ聖堂 モザイク壁画 ラヴェンナ 6世紀前半
アブラハムはイスラエルほか諸国民の父祖。ノアの息子セムから数えて10代目の子孫です。ユダヤ教でもイスラーム教でも尊ばれる預言者で、キリスト教でも、「アブラハムの懐」といえば「楽園」を意味します。【図1】はフランス南西部、コンクのサント・フォア修道院の扉口彫刻。二つ並ぶ切妻屋根の右が地獄、左が天国。地獄の王サタンと同じ位置、天国の中央に座っているのが、アブラハムです。
【図1】 「天国と地獄」 サント・フォア修道院聖堂 テュンパヌム彫刻 コンク 12世紀
【図2】 「アブラハムの懐」 サンタ・マリア・アッスンタ聖堂 モザイク壁画 トルチェッロ 12世紀
あるいは、ヴェネツィア近郊トルチェッロ島の審判図。楽園にいて、聖母マリアの隣で子どもを抱っこしているのがアブラハムです【図2】。集まる子どもたちは、善良な信徒の「魂」。
そんなふうに雲上人のようなアブラハムですが、聖書を読み返すと、その生涯は人間くさいものです。アブラハムの物語は長いので、まず前編で妻サラ、後編で息子イサクとのドラマをお話しします。
アブラハムの父テラが死んだとき、神はアブラハムを祝福し、「大いなる国民の祖」となることを約束しました。そして、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す土地へ行きなさい」(『創世記』第12章1節)と命じます。99歳の時、アブラハムと改名するよう神に命じられますが、それ以前の名はアブラム。故郷をあとにしたのは75歳のとき。子どものいない妻サラ(改名前サライ)と甥のロトとともに、カナンへ行き、古くから聖所があったマムレの樫(パレスティナ)に祭壇を築きます。その後、より南方のネゲブへ移り住みましたが、飢饉が襲ったので、妻を連れてエジプトへ避難しました。
その折、異国の地へ行く不安から、妻にこんな風に言うところにも、アブラハムの人間くささが表れています。
「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。どうか、わたしの妹だ、と言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう」(『創世記』第12章11節~13節)
確かに、サラはたいへん美しかったようで、エジプトでファラオの後宮に召し入れられました。アブラハムは「兄」として、「羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだ」を与えられたとあります。
ところが、神はファラオとその宮廷に厄災をもたらしました。ファラオのアビメレクは重病に倒れ、宮女たちの子宮は閉ざされました。アビメレクは夢で、それらの災いが夫のあるサラを後宮に入れたためと知り、すぐに解放します。アブラハムには、サラにまだいっさい手を触れていないことの証として、たくさんの金銀を与えました。ふたりは裕福になって、カナンに戻り、マムレの樫に天幕を張りました。