蘇った「心のノート」
道徳副教材「心のノート」が復活することになった。民主党政権時代の事業仕分けで、教材として配布することが停止されていた「心のノート」だが、「教育再生」を掲げる安倍新政権の方針により、再び全国の小中学生に配られることになったのだ。
「心のノート」。名前からして中学生同士の恥ずかしい交換日記みたいだが、その成立は20世紀に遡る。1990年代後半、日本では少年犯罪の凶悪化、学級崩壊、いじめ、不登校などが大きな社会問題になっていた。そんな中「心の教育」に対する関心が高まった。スクール・カウンセラーを置くなど、学校内で起こる問題に子どもたちの「心」を変えることで対処しようとしたのだ。
それを象徴するのが当時の森喜朗首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が2000年12月に発表した答申「教育を変える17の提案」だ。
「人間性豊かな日本人を育成する」ために「教育の原点は家庭であることを自覚する」「学校は道徳を教えることをためらわない」「奉仕活動を全員が行うようにする」といった、そのへんにいるおじいさんが一人でテレビに向かって言っているような内容を報告書の形にしたものである。
この答申を受ける形で文部科学省は7億3000万円の予算を割き「心のノート」を作成、2002年から全国の小中学校に配布することになった。著作権所有者は文部科学省。通常の教科書と違い、執筆者名は入っていないし、教科書検定も経ていない。「心のノート」はあくまでも副読本であるため、通常の検定が必要ないというロジックだ。
この「心のノート」配布をめぐっては、当時大論争が起こった。国家に忠実な日本人を作ろうとするものだ、戦前の修身の復活である、事実上の国定教科書だ……。そういった心ある批判が相次いで現場の教員たちやリベラル派の評論家たちから発せられた。
哲学者の高橋哲哉は『「心」と戦争』(晶文社)の中で、「心のノート」は「グローバル化時代の修身」だと批判する。たとえば「心のノート」の中にはやたら富士山の写真が出てくる。本来は住む地域によって岩手山や桜島というように「心の中にある山」は違うはずなのに、まるで誰もが「日本人」として「富士山」を愛することを強制されているようだ、というのだ。
まだママデビューする前の教育評論家・尾木直樹も朝日新聞のインタビューに「心に関するものを権力の中枢が出すのはいかがなものか」と答えている。
確かに当時は日本の「右傾化」が問題になっている時期であった。1999年、小渕内閣は国旗国歌法、周辺事態法、通信傍受法などを相次いで成立させ、良識派知識人たちは、これではまるで戦前に逆戻りではないかと騒いでいた(ちなみに2013年現在、良識派知識人たちはそれらに対してもうあまり騒いでいない)。
そんな中、道徳教育強化の一環として配布された「心のノート」。リベラルな人たちが心配する気持ちもわかる。だけど僕は当時もう高校生だった。だから、「心のノート」が配布されることもなく、大人たちの騒ぎを遠くから眺めているだけだった。