ユダヤでは新生児のための魔除けの護符に、リリスの名を刻む習慣があります。たとえば、19世紀にイランで制作された新生児のための護符【図1】には、縛られたリリスの姿が見られます。
そもそもリリスは、オリエントの複数の悪魔が合体してできた女悪魔。とくに、メソポタミアの女悪魔、アルダット・リルとラマシュトゥの融合と言われていて、ふたりの女悪魔の性質を引き継いでいます。アルダット・リルは産褥の母子や新生児を襲う存在でしたから、こうした護符の起源は古いのでしょう。アダムの妻に結びつけた伝承は、後代の「こじつけ」。
護符に描かれる女悪魔リリスを「創世記」の文脈に位置づけようと試みた『ベン・シラのアルファベット』の物語で、書き手が着眼したのは、「創世記」に存在する小さな矛盾です。
連載第2回でも書いたように、成立経緯が異なる「創世記」の第1章と第2章では、「人間の創造」についての記述が異なります。第1章27節では「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」とあって、男女が同時に造られるのに、次の第2章ではアダムの脇腹から女が生まれるのです。キリスト教では一般的に、第1章で生まれた「女」と第2章のエバを同一の女性とみなしますが、「第1章で土から生まれた『女』がいるのに、第2章で別の『女』が生まれている。アダムには2人の妻がいたに違いない。第1章の『女』はいったいどこに行ったんだろう」と疑いたくなるのも当然でしょう。第1章の「謎の女」こそ、リリスです。
このユダヤの伝承を、中世のキリスト教徒たちは知っていたのでしょうか。「知っていた」という根拠に挙げられるのが、パリの神学者ペトルス・コメストルの『聖書物語』(1170年頃)の注釈です。「エバの創造」の時、アダムは「ついに、これこそ私の骨の骨」と謳いますが、「ついに」(ラテン語聖書でnunc 英語ではnow)という語が、「第一の『女』はアダムのように土から生まれたが、今回は違う」という意味での「ついに」とユダヤ人は説明するけれどそれは誤謬だというのが、ペトルスの主張。わざわざ否定したのは、逆に、その説が中世ヨーロッパに浸透していたからかもしれません。
そもそもリリスは、オリエントの複数の悪魔が合体してできた女悪魔。とくに、メソポタミアの女悪魔、アルダット・リルとラマシュトゥの融合と言われていて、ふたりの女悪魔の性質を引き継いでいます。アルダット・リルは産褥の母子や新生児を襲う存在でしたから、こうした護符の起源は古いのでしょう。アダムの妻に結びつけた伝承は、後代の「こじつけ」。
【図1】 新生児のための護符 イラン 1890年頃 銀 エルサレム、聖書の地博物館蔵
護符に描かれる女悪魔リリスを「創世記」の文脈に位置づけようと試みた『ベン・シラのアルファベット』の物語で、書き手が着眼したのは、「創世記」に存在する小さな矛盾です。
連載第2回でも書いたように、成立経緯が異なる「創世記」の第1章と第2章では、「人間の創造」についての記述が異なります。第1章27節では「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」とあって、男女が同時に造られるのに、次の第2章ではアダムの脇腹から女が生まれるのです。キリスト教では一般的に、第1章で生まれた「女」と第2章のエバを同一の女性とみなしますが、「第1章で土から生まれた『女』がいるのに、第2章で別の『女』が生まれている。アダムには2人の妻がいたに違いない。第1章の『女』はいったいどこに行ったんだろう」と疑いたくなるのも当然でしょう。第1章の「謎の女」こそ、リリスです。
このユダヤの伝承を、中世のキリスト教徒たちは知っていたのでしょうか。「知っていた」という根拠に挙げられるのが、パリの神学者ペトルス・コメストルの『聖書物語』(1170年頃)の注釈です。「エバの創造」の時、アダムは「ついに、これこそ私の骨の骨」と謳いますが、「ついに」(ラテン語聖書でnunc 英語ではnow)という語が、「第一の『女』はアダムのように土から生まれたが、今回は違う」という意味での「ついに」とユダヤ人は説明するけれどそれは誤謬だというのが、ペトルスの主張。わざわざ否定したのは、逆に、その説が中世ヨーロッパに浸透していたからかもしれません。