【図5】 ティッツィアーノ 《イサクの犠牲》 1542-44年 カンヴァス 油彩 ヴェネツィア サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
中世美術ではありませんが、やっぱりすごいなあと思うので、ティッツィアーノ、カラヴァッジョ、レンブラントの《イサクの犠牲》を比較してみましょう。ティッツィアーノの作は天井画なので、見上げる視線を強く意識しています【図5】。急降下する天使、アブラハムの右腕と高く積み上げられた薪など、上下の線(遠近感)が強調されています。丸まったイサクは全身であどけなさを表している。
【図6】 カラヴァッジョ 《イサクの犠牲》 1601-02年 カンヴァス 油彩 フィレンツェ ウッフィツィ美術館蔵
それに対して、カラヴァッジョは水平方向に画面をうまく使っています【図6】。イサクのねじ伏せられた体、アブラハムと天使の横に伸びる腕など。イサクの頭の横には、やさしげな目の雄羊の顔があり、イサクの頭の上に重ねて、身代わりであることをわかりやすく伝えています。
【図7】 レンブラント 《イサクの犠牲》 1635年 カンヴァス 油彩 エルミタージュ美術館蔵
レンブラントの絵は、イサクの喉と胸が白い光を放つかのようで、仰け反る体勢とあいまって、その無防備さが強調されています【図7】。血は描かれていないのに残酷に見えます。アブラハムの手がイサクの顔を覆い、表情が見えないところが怖い。
【図8】 「子を捧げるアブラハム」 『預言者伝』 ペルシャ写本 16世紀 ニューヨーク市立図書館 スペンサーコレクション蔵
イスラーム写本にもアブラハムとイサクは登場します【図8】。神が与えた試練のひとつとして。ただし、イサクではなく、ハガルの子イシュマエルとする説もあります。イサク(?)が、夢のお告げで自分が犠牲となることをあらかじめ知っていたり、父に刀を研ぐようお願いする逸話があったり、旧約聖書と異なります。介錯される武将のように堂々としたイサク。