この物語は、アブラハムの信仰の篤さとともに、神による救済を表しています。この図像はキリスト教美術のなかでも初期から描かれました。ローマ帝国下、キリスト教の信仰が公に認められる313年以前の作例がいくつも残ります。200年頃に描かれたローマのカタコンベの壁画もそのひとつ。アブラハムとイサクが両手を挙げて祈っています。キリスト教において、死にゆくひとへの祈りの言葉(commendatio animae)には、「犠牲からイサクを救ったように、わたしを、彼を、彼女を救って下さい」とあるからです。
ローマのカタコンベから発見されたガラス器の底部【図1】にも、この主題は見られます。切り抜いた金箔を、二枚のガラスの間に挟んで鋳溶かすこの技法。単純に見えて、素材は金とガラスで豪華ですし、方形枠のなかにドラマをうまくおさめる技量は見事。描かれていないのに、アブラハムを制止する天使の声が聞こえそう。
「イサクの犠牲」の図像は、ユダヤ教のシナゴーグ装飾にも作例が残ります。古代ローマ時代には、ユダヤ教の宗教画像の禁令もそれほど厳しくなかったようで、3世紀のドゥラ・エウロポスのシナゴーグをはじめ、7世紀くらいまでのシナゴーグ跡には、宗教画像の痕跡が多く見られます。ガリラヤ湖近く、ベト・アルファの床モザイクもそのひとつです【図2】。
場面左にはロバと従僕。場面右では、大きな刃物を手にしたアブラハムが、炎が燃え上がる祭壇へイサクを載せようとしています。小さなイサクの顔は恐怖に歪んでいるようです。中央には天から伸びる神の手。アブラハムに「待った」をかけています。イサクの代わりの雄羊が木につながれているのもわかります。ユダヤ教の伝承では、この雄羊は天地創造6日目の夕べに生まれ、この瞬間のために、エデンの園で育てられていたとされます(いったい何歳だ…?)。
キリスト教では、イサクにキリストの姿を重ねています。祭壇上のイサクは、磔刑のキリスト。薪を運ぶイサクは、十字架を担うキリスト。「イサクの犠牲」は、キリストの磔刑を暗示する主題になりました。さらには、キリストの犠牲を記念する聖餐式(ミサ)を表す主題ともなり、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂もそうですが【図3】、ミサが行われる祭壇近くに描かれることが多くなります。
この場面を「涙なしで見ることができない」と記したのは、4世紀のコンスタンティノープル大司教、ナジアンソスのグレゴリオスです。わたしは、つい、イサクの喉もとに目をやってしまいます。いたいけな少年が無防備に拉致され、あわやという時にアブラハムの手を止める天使。どちらかといえば動きの少ないとされる中世美術でもドラマティックな描写が可能です【図4】。
【図1】 「イサクの犠牲」 ガラス器底部 鍍金ガラス 4世紀 ヴァチカン博物館蔵
ローマのカタコンベから発見されたガラス器の底部【図1】にも、この主題は見られます。切り抜いた金箔を、二枚のガラスの間に挟んで鋳溶かすこの技法。単純に見えて、素材は金とガラスで豪華ですし、方形枠のなかにドラマをうまくおさめる技量は見事。描かれていないのに、アブラハムを制止する天使の声が聞こえそう。
【図2】 「イサクの犠牲」 ベト・アルファのシナゴーグ 床モザイク 518-527年 イスラエル
「イサクの犠牲」の図像は、ユダヤ教のシナゴーグ装飾にも作例が残ります。古代ローマ時代には、ユダヤ教の宗教画像の禁令もそれほど厳しくなかったようで、3世紀のドゥラ・エウロポスのシナゴーグをはじめ、7世紀くらいまでのシナゴーグ跡には、宗教画像の痕跡が多く見られます。ガリラヤ湖近く、ベト・アルファの床モザイクもそのひとつです【図2】。
場面左にはロバと従僕。場面右では、大きな刃物を手にしたアブラハムが、炎が燃え上がる祭壇へイサクを載せようとしています。小さなイサクの顔は恐怖に歪んでいるようです。中央には天から伸びる神の手。アブラハムに「待った」をかけています。イサクの代わりの雄羊が木につながれているのもわかります。ユダヤ教の伝承では、この雄羊は天地創造6日目の夕べに生まれ、この瞬間のために、エデンの園で育てられていたとされます(いったい何歳だ…?)。
【図3】 「アブラハムの饗応」 サン・ヴィターレ聖堂 モザイク壁画 ラヴェンナ 6世紀前半
キリスト教では、イサクにキリストの姿を重ねています。祭壇上のイサクは、磔刑のキリスト。薪を運ぶイサクは、十字架を担うキリスト。「イサクの犠牲」は、キリストの磔刑を暗示する主題になりました。さらには、キリストの犠牲を記念する聖餐式(ミサ)を表す主題ともなり、ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂もそうですが【図3】、ミサが行われる祭壇近くに描かれることが多くなります。
【図4】 「イサクの犠牲」 モンレアーレ大聖堂 身廊壁画モザイク 1179-89年
この場面を「涙なしで見ることができない」と記したのは、4世紀のコンスタンティノープル大司教、ナジアンソスのグレゴリオスです。わたしは、つい、イサクの喉もとに目をやってしまいます。いたいけな少年が無防備に拉致され、あわやという時にアブラハムの手を止める天使。どちらかといえば動きの少ないとされる中世美術でもドラマティックな描写が可能です【図4】。