「アベルを殺すカイン」 モンレアーレ大聖堂 身廊モザイク壁画 1179-89年
楽園を出たアダムとエバには、やがて、2人の息子が生まれました。兄のカインは農夫に、弟のアベルは羊飼いになります。人類初の殺人事件が起きたのは、ふたりが収穫物を神に捧げた直後です。
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。(「創世記」第4章第3節~5節)
【図1】 「カインとアベルの捧げ物」 モンレアーレ大聖堂 身廊モザイク壁画 1179-89年
この場面は、たいてい野外に描かれます。神殿がなかったくらいはるか昔の出来事ということを示すためでしょう。ユダヤ教の伝説では、カインとアベルがこのとき祭壇を置いた場所にエルサレムの神殿が建てられたといわれています。祭壇で供物(小麦と子羊)が燃やされ、煙が立ちのぼると、天の神さまに届くのです。【図1】では、2人の捧げ物は火にくべられていませんが、アベルが抱えている羊をよく見ると、頭の部分が燃えているのがわかります。神の右手はアベルの方へさしだされ、一条の光線が子羊を照らしていて、神さまがアベルの捧げ物を気に入ったことを示しています。
私は子どもの頃、カインが気の毒でなりませんでした。自分のプレゼントが見向きもされなかったら、がっかりでしょう。中世のユダヤ教徒やキリスト教徒も、神様がなぜ「えこひいき」とも見える行動をとったのか、解釈に頭を悩ませたようです。神は正義。なんの理由もなしにそんなことするはずがない。したがって、なんらかの落ち度がカインにあったはず。その論法は、美術にもさまざまな形で表れています。
【図1】は、捧げ物の持ち方が悪かった! という例。神様や皇帝など、高貴なひとに捧げ物をする場合、じかに持たないのが礼儀。アベルのように、捧げ物を布でくるんだり、手を袖で隠したりするのが正しい作法なので、素手で供物を持つカインは不敬を働いていることになります。