「人間の創造と楽園導入」 『ベッドフォードの時祷書』 パリ 1423年頃 大英図書館蔵
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。(「創世記」第2章8節)
「人間の創造」のすぐ後に記されたこの一文から、中世ヨーロッパの人々は「エデンの園」についてあれこれ思い描いたようです。園の場所、ようす、その始まり。たんなるノスタルジーではありません。キリスト教徒にとって救済とは、楽園に辿り着くことだったからです。
まず、「東の方」とあることから、楽園は、この世の東の果てにあると推察されました。聖堂がたいてい東を向いているのは、そのためです。東は、太陽の昇る方角であるとともに、エデンの園のある方角。
楽園の実在を疑う人もいませんでした。ヨーロッパで珍重されたスパイスや香木は、エデンの園から流れて来たと思われていましたし、15世紀の探検家クリストファー・コロンブスでさえ、アメリカ大陸を「発見」したとき、楽園に辿り着いたと思ったと日誌に書き記しています。ヨーロッパの東にあるインドへ、地球が丸ければ、西に向かっても行けるはず……。エデンの園はインドよりさらに東にあると思われていましたから、自分が到達したのがインドではないなら、楽園かもしれない、という理屈です。