《天地創造の刺繍布》部分 「海の生き物の創造」 11世紀末~12世紀初め 羊毛地に毛糸で刺繍 ジローナ大聖堂宝物館蔵
子どもの頃、弟と一緒にみたテレビ番組のなかで『はじめ人間ギャートルズ』というアニメがありました。マンモスが闊歩し、火山が噴煙をあげる原始時代の家族の物語。内容はほとんど憶えていないのですが、骨付き肉がとっても美味しそうで、エンディングの曲『やつらの足音のバラード』が好きでした。「なんにーもない、なんにーもない、まったくなんにもない」と、今でもときどき口ずさみたくなります。ちょっとしんみりした曲調で歌われる、宇宙創世のようす。
「まったくなんにもない」状態から世界が始まるというこの歌詞は、キリスト教の天地創造とすこし似ています。神学では「creatio ex nihilo(無からの創造)」と呼び、神の全能性の証です。メソポタミアやギリシア、北欧の創世神話では龍や巨人の死体など、この世に既にある物質から世界が芽生えるのに対して、旧約聖書「創世記」の創造主は無から有を産むのですから、画期的です。
ギャートルズとのさらなる類似点は「星には夜があり、そして朝が訪れた」という歌詞。創世記の一節「夕べがあり朝があった」を思わせます。旧約聖書が書かれた頃、1日は夕方から数えたのだそうで、「天地創造」の6日間、毎日繰り返されるフレーズです。
キリスト教の世界観とずれてくるのは、歌詞の2番からです。わたしたちが理科の授業で習うような地球の歴史、アンモナイトやブロントザウルスやイグアノドンが生まれ、栄え、滅びる物語が歌われるのですが、創世記にはそのような記述はもちろんありません。古生物学も進化論もない時代、創造主は6日間かけて宇宙を造ったと考えられていました。創世記第1章の「天地創造」を簡単にまとめると、以下の通りです。
原初、この世には、まっくらでドロドロな混沌と、底がわからないほど深い深い淵しかありませんでした。そこに神の霊が降り立ち、「光あれ」の言葉を放ったのが、天地創造の始まりです。光が生まれ、闇が分かたれました。2日目には、水が分かたれ、陸地が生じます。
宇宙の始まりは、「ぐちゃぐちゃ」を「きちんと」する作業です。混沌としていた世界に、光と闇、昼と夜、陸と海といった「秩序」が生まれてゆくきっかけが、神の言葉だったことを、キリスト教の思想家たちは重視しました。論拠はちょっとした語呂合わせ。ギリシア語で「言葉」を意味する「λόγος(ロゴス)」という語が、「秩序」という意味を併せ持つから。「ヨハネによる福音書」の冒頭にも、「はじめに言葉があった」とあることから、世界の始まりには何よりもまず「言葉」が存在したと理解されたのでした。
3日目以降は、世界を「飾る」作業です。7世紀のセビリア司教イシドルスは、ギリシア語で「宇宙」を意味する「κόσμος(コスモス)」の語は、「飾る」という意味をもつと指摘しています。おでかけ前の娘さんが鏡の前で首飾りを重ねるように、「世界」に、草木(3日目)、太陽と月や星(4日目)、海の生き物と鳥(5日目)、陸上の動物と人間(6日目)といった「飾り」が次々に添えられてゆきます。想像すると、なんとも、にぎやかで愉しい情景です。