石上神宮の宮司さんに聞きました
此の刀の名は、佐士布都神(サジフツノカミ)と云ひ、亦の名は甕布都神(ミカフツノカミ)と云ひ、亦の名は布都御魂(フツノミタマ)と云ふ。此の刀は、石上神宮に坐す。
古事記の中で、はっきりとその名前が記されている奈良県の石上神宮。稗田阿礼が誦習した「帝紀」、「旧辞」を、太安万侶が書き記したといわれる日本最古の書物。来年はこの古事記が編纂されて1300年目にあたる。これを機に、繰り広げられた壮大な神々と英雄達のドラマに思いを馳せて、全国のゆかりの地を訪ねるのはどうだろう。
「日本の真ん中、風光明媚な素晴らしい場所、すなわち大和の国を目指し、神武天皇(この時カムヤマトイハレビコノ命)が日向から遠征してきます。ところが登美のナガスネビコが戦を仕掛け、あくまでも国を渡すことを拒みました」
石上神宮の宮司、森正光さんは、私たちにわかる言葉で穏やかに語りはじめた。
「さらに熊野の荒ぶる神の毒気によって神武天皇一行は仮死状態になってしまいます。アマテラス大御神とタカギノ神がタケミカヅチノ神を遣わし、フツノミタマという刀を天から降ろさせました。この霊剣によって神武天皇は精気を取り戻し、大和の国を平定されるのです」
この霊剣こそが、石上神宮の主祭神。
「石上神宮に坐すと書かれた『坐す』という言葉がすなわち神様が御鎮座になったということをあらわしています」
奈良市内から車で30分ほどのこの地は、深い緑に覆われて、境内に足を踏み入れると、そこだけ切り取られたような凛とした空気が漂っている。まさに俗世間とは違う崇高な世界に入ってきたと思えるのだ。遡れば崇神天皇7年がこの神宮の創祀とされている。目の前にいる森宮司さんはなんと物部氏の末裔だという。そんな歴史的な一族でありながら、森宮司さんはこちらを緊張させることのない、和やかな人物だった。
「ここの自然に触れて、心静かに、ぬかずいていただく。大和の良さは豊かな自然の中に溶け込めること。こうしてお力をいただいてほしいと思います」
最近では、「どの木が御神木ですか? どの木を抱けばいいですか?」といきなり尋ねられることがあって驚いているそうだ。森宮司さんが言うように、心を鎮めて風の音に耳を傾ければ、きっとその人なりの何かを得ることができるだろう。
「山の辺の道を抜けて、ここから大神神社までぜひ歩いてみてください。大和三山、三輪山、草原……、神話の時代の原風景に出会うことができるでしょう」
古事記の中で、はっきりとその名前が記されている奈良県の石上神宮。稗田阿礼が誦習した「帝紀」、「旧辞」を、太安万侶が書き記したといわれる日本最古の書物。来年はこの古事記が編纂されて1300年目にあたる。これを機に、繰り広げられた壮大な神々と英雄達のドラマに思いを馳せて、全国のゆかりの地を訪ねるのはどうだろう。
(1)石上神宮
●奈良県天理市布留町384
●TEL:0743-62-0900
神剣とその霊威であるフツノミタマノ大神、十種神宝に宿る起死回生の霊力であるフルノミタマノ大神、および天十握剣とその霊力であるフツシミタマノ大神を祀る。
●奈良県天理市布留町384
●TEL:0743-62-0900
神剣とその霊威であるフツノミタマノ大神、十種神宝に宿る起死回生の霊力であるフルノミタマノ大神、および天十握剣とその霊力であるフツシミタマノ大神を祀る。
(2)山の辺の道
石上神宮、崇神天皇陵、大神神社を結ぶ日本最古といわれる道。
石上神宮、崇神天皇陵、大神神社を結ぶ日本最古といわれる道。
(3)大神神社
●奈良県桜井市三輪1422
●TEL:0744-42-6633
ご神体は松や檜、杉に覆われた三輪山。オオモノヌシノ大神を祀る。
●奈良県桜井市三輪1422
●TEL:0744-42-6633
ご神体は松や檜、杉に覆われた三輪山。オオモノヌシノ大神を祀る。
「日本の真ん中、風光明媚な素晴らしい場所、すなわち大和の国を目指し、神武天皇(この時カムヤマトイハレビコノ命)が日向から遠征してきます。ところが登美のナガスネビコが戦を仕掛け、あくまでも国を渡すことを拒みました」
石上神宮の宮司、森正光さんは、私たちにわかる言葉で穏やかに語りはじめた。
「さらに熊野の荒ぶる神の毒気によって神武天皇一行は仮死状態になってしまいます。アマテラス大御神とタカギノ神がタケミカヅチノ神を遣わし、フツノミタマという刀を天から降ろさせました。この霊剣によって神武天皇は精気を取り戻し、大和の国を平定されるのです」
この霊剣こそが、石上神宮の主祭神。
「石上神宮に坐すと書かれた『坐す』という言葉がすなわち神様が御鎮座になったということをあらわしています」
奈良市内から車で30分ほどのこの地は、深い緑に覆われて、境内に足を踏み入れると、そこだけ切り取られたような凛とした空気が漂っている。まさに俗世間とは違う崇高な世界に入ってきたと思えるのだ。遡れば崇神天皇7年がこの神宮の創祀とされている。目の前にいる森宮司さんはなんと物部氏の末裔だという。そんな歴史的な一族でありながら、森宮司さんはこちらを緊張させることのない、和やかな人物だった。
「ここの自然に触れて、心静かに、ぬかずいていただく。大和の良さは豊かな自然の中に溶け込めること。こうしてお力をいただいてほしいと思います」
最近では、「どの木が御神木ですか? どの木を抱けばいいですか?」といきなり尋ねられることがあって驚いているそうだ。森宮司さんが言うように、心を鎮めて風の音に耳を傾ければ、きっとその人なりの何かを得ることができるだろう。
「山の辺の道を抜けて、ここから大神神社までぜひ歩いてみてください。大和三山、三輪山、草原……、神話の時代の原風景に出会うことができるでしょう」
(4)奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
●奈良県橿原市畝傍町50-2
●TEL:0744-24-1185
古事記の編者といわれる太安万侶の墓誌を展示。1979年、奈良市の茶畑で偶然に発見された。これで太安万侶という人物が実在したことがあきらかになった。
●奈良県橿原市畝傍町50-2
●TEL:0744-24-1185
古事記の編者といわれる太安万侶の墓誌を展示。1979年、奈良市の茶畑で偶然に発見された。これで太安万侶という人物が実在したことがあきらかになった。