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「原辰徳」が弔辞を読んだV9功労者「山崎弘美」|「週刊新潮」6月6日号
 この“V9戦士”を知る巨人ファンがはたしてどれほどいるだろうか。

 山崎弘美。

 1951年、長野県辰野高校から巨人に入団。1軍試合出場は2試合のみで、60年に引退した。

 だが、彼の人生こそ巨人の歴史そのものだった。

 引退直後の60年、山崎は先乗りスコアラーに。次カードの対戦相手の試合を事前に偵察するこの仕事は今でこそポピュラーだが、実は山崎が日本初の先乗りスコアラーだ。

 川上哲治が監督になった61年、1軍チーフマネージャーに就任し、V9を舞台裏で支えた。川上の絶大な信任を得た山崎は、ときには長嶋茂雄を怒鳴りつけることもあったという。川上が退いた75年には、川上と共に全国を行脚して子供たちに野球を教えた。

 76年から80年までは、スカウトとして、中国地方、神奈川県下の高校、法政大を担当。三菱重工三原の角盈男を見出したほか、東海大相模の主砲として甲子園を沸かせた原辰徳をマーク。法大時代の江川卓も見守り続け、“空白の一日”ではマスコミ対策に奔走した。

 81年、藤田元司が監督になると“マネージャーは山ちゃんしかいない”と再びチーフマネージャーに。複数の政権でマネージャーになること自体異例だが、山崎は続く王貞治にも請われ、3監督の下でマネージャーを務めた。そして86年以降は営業部長、OB会代表幹事として球団に貢献した。

「家庭での父は“今日のタツは頑張った”と原さんの話ばかり。それを聞いた私は、父を原さんに盗られたように感じたものです」

 と語るのは長男の克也氏。

「闘病中も、意識が戻るたび“今日、ウチ(巨人)は勝ったか?”。62年間巨人一筋でした」

 5月20日、呼吸不全のため死去。享年80。

 27日の告別式では、原、王らが弔辞を述べた。無宗教で読経はなし。代わりに巨人の球団歌「闘魂こめて」が高らかに鳴り響いた。
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