「バベルの塔の建設」 オトラント大聖堂 床モザイク 1163-65年
「バベルの塔」というと、粘土の塔を思い出します。幼少期をすごしたインドの家の裏庭でよく作りました。マンゴーの木に囲まれた静かな庭で、ポーチの床にぺたんと座り、庭をおとずれる極彩色の小鳥たち、葉陰のカメレオン、風に揺れるブーゲンビリアを眺めながら、ひとりでぼんやり、泥を捏ねるのが好きでした。なぜ「バベルの塔」と命名したのかはもう憶えていませんが、塔ばかりつくっていました。できあがって、泥も乾いて、しばらく眺めた後は、ゴジラになった気分でいっきに壊すと爽快でした。
【図1】 ピーテル・ブリューゲル 「建設を命じるニムロド」 《バベルの塔》部分 1563年 ウィーン美術史美術館蔵
「バベルの塔」は、大洪水の後、地上に再び人が増えてきた時代の物語です。ノアの孫ニムロド【図1】は「地上で最初の勇士」となり、王国を築きました。バベル、ウルク、アッカドという聖書に記される地名は、まさしくメソポタミア文明発祥の地。
「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。(「創世記」第11章4節~9節)