「命の息を吹き入れる」 クリストフォロ・オリミナ ペトルス・ロンバルドゥス『命題集』 ナポリ 14世紀 ヴァチカン教皇庁図書館蔵
人間の創造についての神話はどれもユニークですが、わたしがとくに好きなのは、ものぐさなエジプトの神さまの話です。轆轤をつかって人間を大量につくっていたら、まわし疲れ、手抜きをするためにつくったのが、轆轤を子宮として「内蔵」した女体だというのです。この方式ならば、神さまの手をわずらわせずとも、人間どうしで増えることができます。
それに比べると、キリスト教の「人間の創造」は、平凡かもしれません。泥をまるめて人形をつくり、息を吹き込むというよくある話。死んで土に返る人間の運命を暗示しているのか、原材料は土です。
話は平凡でも、キリスト教美術に見られるこの場面の描写はじつに面白い。視覚化への要求がきわめて強いヨーロッパならではのことでしょう。聖書にはさらりと書かれている事柄でも、絵や彫刻にするときには具体化しないとなりませんから、画家たちは必死です。泥をどんな風に捏ねたのか。「魂」をどのように表現するのか。そもそも神さまはどんなお顔だったのか。文章にはないことばかり。画家たちは、ときに聖書注釈者の意見を参考にしながら、苦闘することになります。ここでは「人間の創造」を例にとって、その七転八倒ぶりを眺めてみましょう。