七〇年代の中頃だっただろうか、深夜、新宿・歌舞伎町の入り口あたりにあったジャズバーの地階で著者を見かけたことがあった。丸い黒眼鏡にチョビヒゲ、女たちを前にひときわ甲高い声でエネルギッシュに喋りまくる姿が強烈な印象を残した。ひょっとして、本書に載った写真の撮影に出陣する直前だったのか。
アラーキーの写真集は数多く刊行されているが、本書は偶然から生まれた。伝説の写真雑誌『写真時代』などを編集してきた末井昭が、昨年十月、白夜書房を退社することになったが、その際、倉庫から段ボール箱に入った大量の写真が出てきた。それは、末井が編集していた『ウィークエンド・スーパー』で使い、返し忘れていた、若き荒木経惟の一九七六年から一九八一年にかけての作品だった。
本書は、それらの写真を中心に、当時のライターや担当編集者の証言などを交え、末井が編集したものである。
少女、若い女性、人妻、妊婦、中年女性……。それにしてもなんと多くの女たちが、レンズの前に裸身をさらしているのだろう。それに、「女はすべて女優なのである」と信じるアラーキーは、なんと熱い思いで彼女たちに迫っているのだろう。なかでも、一九八二年の「ホテルニュージャパン」の火災で焼死し、最後まで身元が分からなかった少女を、湘南海岸で撮影した写真は胸を衝く。「キャバレー・神田ハリウッド」で踊っていた前衛舞踏家・ルウが安アパートの自室でみせる踊りには、勁さと誇り高さが満ちている。写真の他にも、当時に書かれた疾走感あふれる文章が愉しい。
巻末に収められたインタビューで荒木は、「自分で撮って、撮ったやつ自身が懐かしいって思わない写真が多いじゃない。そんなのダメだって。ノスタルジックなほうがいいんだよ」と言う。
猥雑と無垢が共存し得た時代、熱気の底に悲哀が滲んでいた時代、写真がザラついた肌触りを持っていた時代……。
本書には確かに、失われた時への痛切なまでの郷愁が漂っている。