アート

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12 書庫の完成|松原隆一郎+堀部安嗣 阿佐ヶ谷書庫プロジェクト




書庫の竣工

「完成しました」という塚越さんの電話で駆けつけてみると、堀部さんも現場に来ていました。「細かい修正は沢山あるので最後の詰めをしていますが、基本形は出来上がりです」とにこやかです。「どんなもんだい!」という面持ちというか。
 2月に入ってから一週間経っただけですが、階段に絨毯を貼り、本棚に塗装をし、1階のシャワー室にタイルを埋めた効果は大きく、印象が一変しました。「作品」としての全体像と「住める」感じが一気に湧き出ています。


 小沢敦志さんが塗ってくれた入り口の重い扉を後ろ手で閉めると、室内は完全に密閉され、外光は一筋も入らなくなります。早稲田通りの騒音がぴたりと消え、無音の世界が広がります。連想されるのは、イタリアの小さな教会でしょうか。
 書庫の周囲は円筒形で、本棚に囲まれています。昨日まで本棚の仕切りを削っていた大工さんたちは、塗装しない方がいいんじゃないかと淡い木目を気に入った様子でしたが、深い茶色で統一してみると全体に重さが出ました。まだ本が入っていないので区画ごとの個性はありませんが、仕切り板の内側は1枚1枚円弧のようにカットされていて、見渡すと綺麗に円を描いています。重厚な内容の書物を受け止める力のある形状と色合いです。「アカデミックな書庫の威厳」という発想が堀部さんにはあるのでしょう。私としてもそれなりの本を収蔵しなければならなくなりました。 「天井にしても、組む前は屋根のスラブを見ていてこれでもいいなと思ったんですが、ドームができたらこちらの方がいいと分かりましたねぇ」と白井さん。大工さんにせよ、施工する側は局部に凝るのに対し、建築家である堀部さんには全体像が見えているのでしょう。
「階段を上っても距離を感じないんですよ。時間が経たない感じというか」と白井さんが続けます。堀部建築で言われる「静謐」さが、ここにも表れています。階段を上り下りしても、実感があまりないのは本当です。しかし天井近くの階段、キャットウォークの部分まで上がって地階を見下ろすと、相当に高い。下が谷底のように見え、吸い込まれるようで怖くなります。落ちればただごとでは済まないでしょう。
 書庫の地階に戻り天井を見上げると、螺旋形に階段が渦巻き、2階まで昇っていきます。階段の内側に立つ手すりも、湖から天空向けて立ち上がる竜のように細い流線形を描いています。天井のドームは白く、中心の穴から陽光が広がります。室内の暗い焦げ茶色とは対照的。この対照が、教会を連想させるのです。
 地階は階段に周囲をとられるため、中央にテーブルを置き椅子で取り囲むと狭いかなと不安でしたが、階段の下が1mほどあり、そこに入り込むと背中の本棚まで心地よいスペースがあります。入り込んで座ると頭の上にも余裕があり、圧迫感はありません。それならばテーブルはやめにして丸いちゃぶ台を置けば、接客に使えるでしょう。ちゃぶ台ならば、ふだんは立てかけておけます。
 本棚を背負って腰掛けると、逆側の本棚まで床は円形で、直径が3.6mあります。堀部さんによると、この3.6mという直径は、縄文時代の住居跡に共通する大きさなのだとか。我々の祖先が居心地良いと感じた居住空間の規模がこれなのでしょうか。頭上を岩盤のように階段が覆い、落ち着きます。
 私は近年、冬になると手の指先や足の裏が痛いほど冷たくなるので、コンクリートの打ちっ放しでどうなるかと心配しましたが、書庫の地階も階段もすべて絨毯が敷き詰められ、床暖房になっていて、足の裏はほんのり暖かい。2階にはエアコンがあるので、上空は書庫の中心部も暖まっています。地階にはガスが引いてありますから、ファンヒーターを置けばこちらも寒さは感じないでしょう。室温についてはやはりしつこく主張して正解だったようです。
 フロアは三つあり、それぞれの部屋は壁が白く塗られています。茶色い岩場のような書庫から白い石灰質の部屋に抜けるかのような印象。地階は寝室。1階はトイレとシャワー、2階は仕事場とキッチン。2階から階段の行き止まりのあたりまでのキャットウォークには、新たに球形のライトが置かれました。それ以外の書棚も、各部が電灯で照らされています。深夜でも懐中電灯で照らさずに本の背表紙を見渡せそうです。
 書棚の塗りむらなど細かい点ではあと100箇所も詰めがあるそうで、私はブラインドの発注について尋ねられ、この日はいったん別れました。



書庫の引渡し

 そして2月15日。いよいよ引き渡しの日が来ました。
 玄関の扉を開けると、すでに堀部さんと塚越さん、時田社長、アルボックス時田の西村さんが先着しています。現場で監督してくれた渡邉さん、白井さんは階段に座っています。家内と、途中経過を写真で撮ってこの連載で毎回報告してくれた片岡薫夏さんも到着。
 まず時田社長と私とで、引き渡しの書類にサインしました。続いて堀部事務所ともサインの交換。塚越さんからはこの家にかんする分厚い「使用説明書」をもらいます。電気屋さんとガス屋さんらからは、一時間半ほども各部についての使い方の説明を受けました。
 その間、関係者は一同、にこやかではあるものの緊張感を漂わせています。白井さんなどここ半年間、毎日日中ずっとここに張り付いていたわけですから、娘を嫁にでもやるような心境じゃないでしょうか。そういえば昨日、見に来た時は、すべての床に薄く透明のビニールシートが敷いてあり、まだ塗装の真っ最中。本棚の中仕切りの板だけで100枚以上あり、その1枚1枚を職人さんが塗っていたのです。白井さんがいないのでどうしたのかと職人さんに尋ねたら、「熊谷に板を取りに帰りました!」とのこと。中仕切りを置いてきてしまったようです。渡邉さんもキャットウォークにうつ伏せで何かしていたので、声をかけられませんでした。そんなドタバタも、結婚式の前日に娘に化粧してやる親のようなものかもしれません。


祖父へのプレゼント

 この家の完成までにはいろいろな事情があり、さまざまな人たちがかかわってくれました。出発点は、実家を売却せざるをえなくなり、大きな仏壇の行き場がなくなったことです。
 この連載では仏壇の主である祖父母の話から始めようと、彼らが所帯を構えた住所を初めて訪ね、時代に取り残されたような町の片隅に地番を見つけ出しました。祖父は中学中退。フィリピンのバナナ農場から逃げ帰ってそこに流れ着き、大正時代いっぱいを過ごして成金となり、その町を出て東灘区に大きな工場と邸宅を構えました。造船所も造り、戦後は大きな製鉄所も営みました。
 そのように起業してはカネを生み出したのですが、カネは他人や軍、息子である父にむしられ、最終的には私の手元に実家の売却益の三分の一だけが遺産として残りました。記念碑が建つわけでもなく、いま祖父を覚えている方々も引退している高齢者ですから、その方々が亡くなり私も続けば、祖父を知る人は誰もいなくなるでしょう。「松原」という名前こそ息子に続きますが、祖父の仏壇と記憶はどこにも残らなくなるのです。
 遺産はそれなりの金額ではありますが、使えばじきになくなるでしょう。それでは祖父に申し訳ない。そこでいくばくかの借金を上乗せして、この「書庫と仏壇の家」が建ち上がったのです。
 考えてみると、祖父は人には裏切られ続けましたが、それは裏切られないような人づきあいができなかったことを意味しています。社員には尊敬され怖れられもしましたが、裏切られない人間関係は築けなかったのです。

 その点、今回の「阿佐ヶ谷書庫プロジェクト」は、人に恵まれました。堀部さんは私のささやかな要望をことごとくはねつけましたが、しかし私には想像もつかないような素晴らしい案を(おそらくは脳に脂汗をかきながら)絞り出してくれました。時田工務店は、地中からガスの本管が出るというアクシデントに見舞われながら、「コンクリートをくり抜く」というリスクの高い仕事に挑んでくれました。職人さんたちも、どこで仕事をしようと賃金は変わらないであろうに、執念とプライド、確かな技をもって、細かい作業に取り組んでくれました。
 家内は、当初は仏壇や実家の植木を自宅に引き取るのを拒み、それが書庫建設のきっかけになったのですが、その後は私の意図を理解し、励ましてくれました。趣味人の片岡クンは、暑い日も寒い日もニコンを首にかけ、現場を撮影し、連載では的確なコメントを付してくれました。私は私で、工事が始まってからはその進行をずっと後ろから追いかけるようにして、この物語を綴りました。そして奇遇にも、建築の完成と同時に最終回を書き終えるのです。
 建築完了をもってこのメンバーは解散しますが、誰もがここに関わったことでなんらかの経験を積みました。この家をというより、正確にはこのような人間関係をもって建ち上げた家を祖父母の仏壇にプレゼントできることを、心から嬉しく思います。仏壇は2階の書庫の一部に入りますが、すべての関係者に見守られ、やすらかに眠ることができるでしょう。


これからの住まい方

 さて、この家に対する私の感想ですが、正直言って、まだまだ言い尽くせません。空間のすべてを身体で味わい尽くしていないからです。見え方にしても、階段を上る一歩一歩で異な建物です。どの位置からも美しく見えるのですが、どの視角が一番気に入るかは、おいおい明らかになるでしょう。
 地階に寝そべって本を読むと心地よいので、背もたれ用に無印良品のクッションを買いました。どの場所がもっとも気持ちよいポイントなのか、探すのが楽しみです。
 モノはなるべく置かず、簡素なまま使いたい。キッチンには食器を入れる棚を買おうかと思っていましたが、冷蔵庫の上が20cmほど空いているので、お盆を敷いてそこに置くことにしました。淡水フグなど飼いたい、実家から持ってきた万年青の鉢を置きたいとは思うものの、順を追って運び込むことにします。そうすることで、冗漫な家具は排除できるでしょう。
 緊張感のある空間を維持したい。そのために掃除をしてくれる方をすでに見つけてあります。掃除は自分でするとつい先延ばしになり、ナアナアになってしまうので、謝金を払ってでも初期の状態を保とうと考えています。
 仕事場には、日中は南の陽が差します。背中がぴったりフィットして気持ちいい内田洋行のpulseという椅子を中古で買いました。「ヘッドレスト」を追加し後頭部の支えにしましたので、スポーツでもするかのように集中して本が読めるでしょう。隣のキッチンでコーヒーを淹れ、仕事に集中する。疲れたら書庫に出て、階段を伝い本の背を眺めては考える。そうした仕事が始まるのです。
 数日後には、約一万冊の本を運び込む予定です。書棚のセルごとに分類されて収蔵されます。このセルは、私の頭の中身を示しています。今後、書棚がルイス・サフォンの『風の影』に出てくる「本の墓場」となるのか、ちゃんと活用されるのかは私の心がけ次第でしょう。
 借家にあった音響装置を鳴らしてみました。地下からと最上階から、それぞれ音を出してみます。西村由紀江さんのピアノ独奏は、実によく響きます。不思議なことに、音は下で出しても上で出しても、均等に広がります。一度天井にぶつかって跳ね返ったり、地階に下りて戻っているのかもしれません。空間を、ピアノの音が埋めるのです。
 これまで自宅で集中できず仕事に行き詰まると奄美大島にカンヅメになりに行きたいとよく言っていたものですが、そう言う必要もなくなりました。この空間では、リラックスしつつ緊張できそうです。後半生、この家とともに暮らせるかと思うと、いまから心が躍ります。






※「工事現場から」画像をクリックすると拡大します。
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