職人の仕事
建築工事が再開したのは7月23日。42日ぶりのことです。もともと10月半ば竣工の予定でしたが、少なくとも中止期間分の遅れが予想されました。
建設投資そのものがピーク時の半分以下になっている現在、建築の基礎を担う型枠大工や鳶は2~3割も離職しています。時田社長によると、職人はきつい肉体労働であるため、いったん他に固定給の仕事をみつけると滅多に元の職場には戻ってきません。高齢化してもいます。そのうえ東日本大震災の復興需要で、このところ東北に人手をとられています。それでもなんとか編成を組み替え、完成までに職人さんは延べ617人が現場で働いてくれることになりました。
型枠づくり
前半の山場は、前回述べたようにRC(鉄筋コンクリート)での躯体づくりです。どこまで内部が「真円」になるのかは、型枠大工の腕にかかります。
まず掘って地面を平らにし、床を二重に組んで基礎にしました。その上に細かく線を引き、鉄筋を乗せていきます。早稲田通りを渡ったあたりや横断歩道の上から測量して基準ライン引き(逃げ墨)、書斎と書庫の「円」の中心を定めました。当面はこの円心を実現することが目標となります(第2回「工事現場から」参照)。
型枠は、現場で切りました。型枠大工は、吉川三弘さんです。RCが専門で20年のキャリア、それでも「ここまで難しいのは初めて」とのこと。マンションなどだと各階の形が同じで、ふつうは四角。対照的にこの物件の内側は円。円を直線用ノコギリで切るのは難しいそうです。
さらにセパレーターが面倒で、寸法を測って箇所箇所で引いたり押したりしながら一本一本を調整します。長さがすべて異なり、型枠を直角にでなく斜めに支えるようになっているため、どうしても円心がずれます。じりじりと熱い日差しに照らされる毎日。型枠が開いたり倒れたりして、やり直しを繰り返します(第3回「工事現場から」参照)。
その間、狭い土地には材料を置く場所がありません。敷地いっぱいに建てようとするためで、屋上に上がる階段もなし。荷上げ場を作って、壁の外をいちいちよじ登るしかありません。その都度材料を熊谷から運んで、その日に使い切れなかった材料は持ち帰る日々が続きます。
コンクリート打設
コンクリートは一階ごと、3回に分けて流し込みました(打設/第4回・第5回・第6回「工事現場から」参照)。ミキサー車から生コンを出し、ポンプ車で吸い上げて、吐き出しながらならします。なかなか均等に出ませんし、固くて上がらない時はバイブをかけて振動させます。「真円」を作ろうというミリ単位の作業なのに、相当に揺れるのです。
固まってまた塗って、固まってまた塗っての繰り返し。ひと月後に外壁が立ちました。次の打設で上の階ができ上がると下の階とのつなぎめにズレがないか気に掛かりますが、いずれかの階が真円にできたとしても、他がそうとも限りません。一階ごとの何mmかの傾きも、逃れられません。
それにもかかわらず内部をできる限り真の円筒に近づけることが、階段と本棚を螺旋状に立ち上げるための前提になります。内壁は打ちっ放し。「仕上げしろ」のための「逃げ」がありませんから、一発勝負です。
内部を覗いてみました。素人目にはかなり狭い。「これが広くなるのだろうか」と心配になります。まるで子どもの秘密基地みたいに見えたからです。
さらにひと月、最後の打設をします。屋根は水平でなく傾斜があり、生コンを入れてもずり落ちてしまうため、「返し枠」を付け、左官工が屋上で丁寧にコンクリートをならします。これで外観ができ上がりました。
そして10月28日。コンクリートの養生が終わり、いよいよ型枠を外す日です。外壁に階段はありませんから、4人で外壁にへばりつき、手渡しでパイプや型を降ろします。ひとりが外してふたりめに渡し、3人めが二階部分でひきつぎ、最後の人が下でトラックに入れるのです。じきにトラックは一杯になりました。翌日も作業は続きます。
現場監督の白井さんは、内部で階ごとを仕切っていたベニヤ(仮スラブ)を外したとき、「円」の精度が高くないことはすぐ分かったそうです。それにもかかわらず、感動がこみ上げました。地下から屋根までの「吹き抜けてる感じ」が予想以上で、「これが堀部建築なのか!」と実感したのです。
螺旋階段の取り付け
熊谷で作る階段の一枚一枚は、幅を変更できません。では真円ではない内壁に取り付けた階段や本棚が、どうすれば目に見えぬ円筒に絡みつくような螺旋を創り出せるというのでしょうか。設計図には、内壁も階段も、真円として線が引いてあるだけです。それを実現するのが、施工なのです。こうして、施工の後半戦が始まりました。
ここでもう一度、測量屋さんが来ました。地下の地面に墨で真円を引くためです。木造だと大工さんや工務店で墨を出しますが、RCとか複雑な構造の場合は専門の墨出し屋さんがいます。内壁とは別に床に真円を描き、そこから垂直にレーザー光線を上げると、空中に真円の円柱が描けます。その円の中心に合わせて、一段一段の階段の向きを調整しようというのです。
ここから11月いっぱいまでのひと月間は、階段と手すりの取り付けに当てられました。階段の「受け」の穴は、内壁に打ち込んであります。鳶と鉄骨工が3人がかりで一枚一枚の階段を持ち上げて、そこにボルトで仮づけします。一段作ってはそれに登り、次の段を取り付けるのです。踊り場の大きな段は、屋上からフックをかけ、つり下げて入れました。
一枚ごとの階段を円心に向けつつ、出入りはブロックごとに頭を揃えます。その微調整と溶接を、鍛冶工の吉野滝史さんが担当してくれました。さらに階段の内側部に、手すりを立てます。理屈上は、手すりは綺麗な螺旋を描きます。地下から天井まで、手すりが竜のようにとぐろを巻いて立ち上るはずなのです。
ところがいくら調整しても、微妙なところでそうは見えません。視察に来た堀部さんから、きつい言葉が出たそうです。「それならとことんまでやってやろうじゃないか」、と吉野さんの闘志に火がつきました。1週間強で終わるはずの作業が、延々と続きます。その間、私がいつ行っても、階段に溶接用マスクをかぶった吉野さんが座り込み、火花を散らしていました(第7回・第8回「工事現場から」参照)。
そして3週間後。ようやく本溶接にたどり着きました。手すりはそれまでの黒から反射する鏡の色へと一変し、ラインも美しく仕上がりました。「できましたよ!」と吉野さんは、こぼれんばかりの笑顔を向けてくれました。
白井さんも、ほっとした表情です。「初期プランを見ましたよ~」と頭を掻きながら苦笑いしていました第8回に紹介した、土地の四角を反映させた内部にエッシャーの画のように階段が入れ子に入る図面を、この連載で初めて知ったというのです。その案なら、RCの内壁で「真円」を作るという至難の業は必要ありません。階段も、手すりも簡単です。収納しうる図書の量だって、ひょっとするとそちらの方が多いかも。初期プランから最終プランへの堀部さんの構想の変化は、施工者に遠慮なく負担をかけるものでした。
天井を組む
12月に入り、だんだんと寒さが募ってきました。中頃までは、躯体を左官工が補修したり屋根にガルバリウムの鋼板を取り付けたり。地下の寝室では、床を木で組む作業をしています。そうこうするうちに、内部からの天井作りが始まりました。(第9回「工事現場から」参照)
まず3日間で鉄骨を組み上げ、ドームの形を作りました。原爆ドームのように見えます。その上に、三角の段ボール状の白い紙を貼り付けていきます。アールインテック社の若い職人さんが二人で担当してくれたのですが、元々は平面の紙を半球になるようにしならせるのですから、丸みを持たせるのがなんとも難しい。1枚目を貼り終えた時点では、ボードの間に隙間がありました。その上に、仕上げの2枚目を貼るのです。二人ともやっているうちに火が付いたようで、ものすごい集中力で4日間、貼り続けました。その結果、隙間の痕跡が見えなくなるまで精緻に仕上げてくれました。その上に塗装します。出来上がりは、まるで漆喰の壁のよう。とても鉄とボードが下地とは思えません。
そして色見本を何色か外壁にあてがっては見比べ、最終的に小豆色の濃さを決めて塗装したところまでで、年末の作業は打ち止めとなりました。
年が明けると、いよいよ本棚です。こちらは三科尚也親方率いる大工の「吉川の鯰(株)」が担当してくれました。基本的な形を草加の工場で切り、現場に運び込みます。後ろ壁と必ずしも合いませんので、削りが必要になります。
大変嬉しかったのが、本棚の無数の羽目板の前側についても、一枚一枚円形に丸めて切ってくれたことです。堀部さんも西村さんも、そこはあまりに面倒なので「直線で」と発注していました。ところが「鯰」の大工さんは「やります」と申し出て、円弧に削ってくれたのです。棚にはめ込んでみると、この円弧が連鎖して、全体でなんとも美しい円を描きます。大工仕事の精緻さと情熱に、惚れ惚れとしました。(下「工事現場から」参照)
そして2月7日、朝。塚越さんから電話がかかってきました。「完成しました、現場に堀部さんと来ています」。あと4~5日はかかるかとのんびり構えていた私には、寝耳に水です。とるものもとりあえず服を着替え、チャリに飛び乗って、現場に駆けつけました。外観は年末からはあまり変わっていない建物。玄関の扉を開けるとその内部には、見たことのない光景が広がっていました。
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