意外な最終プラン
土地の契約を終えてから、ふた月が経過した2011年10月3日、堀部さんからメールが届きました。
お待たせしております。あれから後悔のないように様々なプランの可能性を探っていきました。前回ご覧いただいたプランに近いものと、ちょっと別のアプローチでつくったプランと現在二種類あって、おそらくその二案をご覧いただけるようにこれからプレゼンの作業に入りたいと思っていますとあります。二つの案のうちどちらか決めかねている、という宙ぶらりんの心境なのかな、と感じました。
堀部さんはそれから仕事で渡米され、実際に話を伺えたのは帰国してさらにひと月たってからでした。打合せ日程を決めようと11月1日にメールを下さったのですが、今回はまったくトーンが異なっていました。
松原さんそして11月末。家内の経営するカフェ「ひねもすのたり」で、いよいよ最終プランと対面することになったのです。堀部さんはとるものもとりあえずという勢いで、模型を取り出し説明を始めました。構想は、とくに書庫の部分で大幅に変わっていました。
こんにちは。お待たせしております。
プランですが、自分としてとても納得のゆく、凄いものができました。
久しぶりに寝食忘れて興奮してスタディーをしました。
今までお話ししてきたプランとはまったく違う、かなり刺激的なものですが
とにもかくにもぜひそれをご覧いただきたいと思っています。
今までと言ってきてることが違うじゃないか!とお叱りを受けるプランかもしれませんが、それにビビらずに、この興奮をお話ししたいです。
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堀部安嗣
前のプランでは、土地の形状である歪んだ台形の各辺に垂直に立てた平面が壁になっていました。内側も台形で、歪んだ四辺形の三つのフロアを階段が四角い螺旋状につないでいました。今回のプランでは外壁は土地の形状のまま、外観の立体も以前のプランのままですが、大きく異なるのが書庫部分で、なんとコンクリートの立体を丸い円柱でくりぬいているのです。
しかも室内上空はドーム形。天井はモスクのようです。その頂点に穴があり、屋上には出られません。観葉植物を窓越しに眺めるという要請は却下されたのです。この穴で「十分に明るい」とのことでした。
あと二つ、小型の円柱がくりぬかれています。それが各階で部屋になっており、地下1階はベッド。1階はシャワーと着替え場、洗濯機。2階に仕事場と小さなキッチンを配するという3階建てです。書庫の地下1階部分に降りると中央が踊り場のようになっており、テーブルと椅子を置けば接客や取材、打合せに使えるでしょう。入り口の郵便受けは、家内の勧めで「鉄の作家」小沢敦志さんにお願いすることにしてあります。
書庫部分の円柱は地下1階から2階の上の天井までとなっていて、周囲に1万冊の本と仏壇を収蔵します。半地下からモスク部分までの円柱形の内壁のすべて本棚を収め、螺旋階段でぐるぐる回って本を手に取るという様式です。書棚は円周が9m、高さが6.5m、面積でいえば58.5㎡になります。
しっくいや木造でできた「静謐な家」が特徴と一般に見られている堀部さんですが、このプランは彼らしい、と私なりには納得できました。というのも自宅にかんして感想を述べたように、住み手にとって堀部建築の本質は、移動するにしたがってダイナミックに展開する「見え方」にあるのですから。地下1階から2階の上まで螺旋階段を昇るにつれ、眼前に展開する光景は、ジェットコースターを思わせるようにダイナミックなものになるはずです。
それに、私が施す本の「分類」が加わります。どの位置にどのジャンルの本を集めるかで、場所ごとの気配が異なるでしょう。小説のコーナーは情緒、経済学のコーナーは効率性、政治学は権力を印象づけるでしょう。「情緒」「効率」「権力」を体感しつつ狭い螺旋階段を昇り、モスク状のドームに至るのです。
一方、仕事場は書庫と切り離されていますから、本が目にとまって気にかかるということはなさそうです。
正直、私の淡い夢はすべて消し飛ぶプランだ、とは感じました。小さな湯船につかりガラス窓から夜空や野草の根洗いを眺めるような優雅さは断念せざるを得ません。サルスベリのウロや万年青は、螺旋階段に置くことになるのでしょう。この書庫で仏壇の扉を開け蝋燭に火を点せば、神妙な気持ちになるのではないでしょうか。
私の祖父は破天荒な起業家だったけれども、顕彰する碑の一つが建っているわけでもありません。ドームから降る白い外光が、祖父の仏壇の終の棲家になるのです。それを希代の建築家・堀部安嗣に注文できたのですから、設計で好き放題に「やんちゃ」をやらかしてもらえれば、祖父は喜ぶはずです。「松原頼介・ミーツ・堀部安嗣」なのだな、と私は解することにしました。私一人のリゾートではないのです。
ディズニーランドのような空間
このプランを聞いて、連想したことがあります。私の生家、塀を石造りに替えたり2階を乗せたりする前の魚崎の家に似た家として、東京は練馬の江古田駅近く、日大芸術学部向かいの「佐々木邸」があります。私の同僚でアメリカ文化研究者の能登路雅子教授の生家で、同潤会が分譲したものとしては珍しく、土地付き一戸建て住宅です。女中部屋や洋風応接間、縁側があり、台所には地下物置があるのも似ています。昭和初期の家は、おおよそこうした意匠を持っていたのでしょう。
不思議なのは、佐々木邸がいまなお昭和初期の様式を維持していることです。なにしろ、テレビを置く場所もないのです。私は授業の一貫として学生を伴い昨年・今年と見学させていただきましたが、その際に能登路先生が面白い話をして下さいました。
佐々木家も、高度成長期にはテレビが入り浴槽もモダンになるなど世間並みの変化をしたといいます。この家を受け継いだ能登路先生はディズニーランドの研究家で、ディズニーランドといえば現実世界とは別にディズニーが構築した、いわば架空の場所です。そこで能登路先生は、ご自分の生家をディズニーランドのごとく世間とは隔絶した架空の空間として、昭和初期に戻そうと考えているというのです。
毎年、少しずつ工事が進んでいます。浴槽は五右衛門風呂に、トイレも落としに改築するのだそうです。この話になぞらえれば、私にとっても今回の書庫は、破天荒な祖父に始まる「松原家」を継承するディズニーランドとなるのでしょう。
居住性についての希望
こうして、最終プランに合意することとなりました。とはいえ居住性については細かい希望事項が次々に出てきました。いよいよ着工となる2012年6月までの半年間は堀部事務所の方でも詳細を詰める過程にあたり、逐一メールでやりとりしました。
たとえば、こんな具合です。
- 深夜にも仕事をしますので、すみずみまで本の背表紙が見えなければなりません。本棚を照らす照明も設置して下さい。
- 地下1階、1階、2階をそれぞれに床暖房にしてほしい。コンクリートなので、相当に寒くなると思われます。寒いと行く気になれなくなってしまいます。
- さらに予備のためにガスも引いて置いておいて下さい(暖房用)。
- 洗濯機が置けるようにしておいて下さい。住むかもしれないので。
- 窓そのものがかなり小さくなりました。仕事場の窓だけは大きく、深くとり、そこにもグリーンを置くようにできないでしょうか。
これらはおおむね受け入れてもらえました。ただ、実施設計を進めたところサッシのサイズに限界があり、窓はあまり大きくはとれないことが判明、鉢植えはせいぜい二つ置けるだけになりました。外部に張り出すことも考えてもらいましたが、道路境界までの距離がとれないため水やり等の手入れが難しく、鉢が道路に落ちると危険なこともあって、植木鉢を外に置くことは断念しました。
こうした幾度ものやりとりを経て、細部まで承諾するに至りました。この本棚は地震でも絶対に倒れない、と堀部さんは胸を張ります。火災にも強いし、大震災が来たなら自宅からこちらに避難すればよく、水害に遭ったとしても水は99%浸透しないとも言います。
費用に占める割合はコンクリートが大半で、それ以外で大きいのは鉄骨階段になるそうです。外壁と本棚は、ともに小豆色にします。もちろん、それが「阿佐ヶ谷色」だからです。
こうしていよいよ着工を向かえる段になりました。
まずは地鎮祭と建築契約。2012年の5月11日金曜日、午前10時のことでした。
※「工事現場から」画像をクリックすると拡大します。