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08 どんな書庫住宅を望むか|松原隆一郎+堀部安嗣 阿佐ヶ谷書庫プロジェクト




 阿佐ヶ谷の早稲田通り沿い、南東の角地、28.70㎡。建坪率は80%、容積率は300%。この土地で、いよいよ堀部安嗣さんに書庫住宅の建築設計をお願いすることになりました。  M銀行で追加的に借金をします。新宿の支所で説明を受け、2.475%の変動金利で20年の不動産担保ローンを希望。それだと月に払う額は現在の借家・倉庫の賃貸料と変わりません。この物件に住宅ローンが適用されたなら、金利は1%以下だったところです。ところがそうならなかったのは、私の阿佐ヶ谷の書庫用予定地は狭くて40㎡以下であるため、適用外だったからです。残念。

書庫に望むこと

 最低限の要望から書き出してみます。今後の人生で、持つ本の数は約1万冊に抑えようと思います。それに資料ファイルとCD、DVDを収める書庫が今度の家の中枢です。そこに高さ171cm、奥行き71cm、幅73cmの仏壇を組み込まねばなりません。ただしこの要望は格安中古住宅を購入することを考えていた際のもので、なにしろ無理して新築するのですから、当然、希望は追加したくなります。

 この書庫の家を建てるとなると、中古家屋取得の資金に想定していた(現在の借家や倉庫を借り続けた費用と等額の)1750万円を超過します。つまり現状の借家で想定される生涯資金を、かなり上回る額が必要になるのです。相続した遺産の全額に加え、手持ちの貯金くらいは吐き出さねばならないでしょう。とすれば残りの人生で想定外の分を稼がないと、新築は割が合わなくなります。私は、この先8年ほどで定年を迎えてから後も、原稿を書いたり講演をしたりする仕事は続けなければならないのです。
 それだけにこの書庫の家は、たんなる本の物置にしてはなりません。創造的な仕事場も兼ねなければならないのです。つまり追加の希望は、仕事場を想定してのものになります。こう考えて、「自宅と研究室の本を整理し書庫の家に運び込んで、今後はそこに通い仕事をするんだ」、そのような人生が見えてきました。

 実はそうした計画は、現在借りている築50年の一戸建て9畳の家を借りる際にも描いていました。どうせ賃貸料を毎月払うのなら、たんなる本置き場にするのではなく原稿も書ける部屋にしよう、ということです。ところがその部屋は寒かったり居間の周囲四辺を本棚に囲まれるせいで圧迫感があったりで、どうにもPCを持ち込んで仕事したいという気にはなりませんでした。二日に一回、本を整理しに行くだけの部屋となったのです。
 逆に自宅の方は、自室でPCを使うものの、最低限の資料として本を横に置かねばならず、その予備も置くと、結局は家族の居間にも本が溢れることとなりました。なにしろ各社の新書や知人からの献本、書評用に依頼した本が、月に50冊は増えるのです。さらに本はボールペンで汚して読むため、大学の費用で買うことは稀です。つまりそれら以外にも自分で本を買っており、せっかくの堀部建築なのに、現状では自宅ではあちこちに本がうずたかく積まれているのです。
 とはいえ仕事にかかわる本が多数置かれているというのは、生活の場にふさわしくありません。仕事が終わっても「続いている」感じが消えず、いつまでも何かに追われている強迫観念から逃れられないのです。
 根本的な解決策はあります。これまで自宅にあった本、借家にある本、そして大学においてある本を新築の家の書庫部分に集中させるならば、自宅は「暮らし」のためだけに使えてすっきりするでしょう。逆に新築の書庫の家の方は、生活感をなくすれば仕事がはかどるはずです。


ホテルのような仕事場

 私は原稿が進まないときに、出版社から言われてホテルに缶詰になったことがあります。ホテルには十分な資料が持ち込めないのですから、小説を書くのでもない限り、執筆は進まないと思われるかもしれません。けれどもこの習慣が依然として廃れないのは、利点があるからです。ホテルの缶詰で有効なのは、生活感がない点です。私の場合、仕事がはかどるのは「調子が出てきたならば、行けるところまで書き続ける」ことができたときです。仕事に集中していよいよ頭が疲れても、ベッドに倒れ込む以外に選択肢をなくすれば、起きてもすぐにPCに向かうしかありません。それにはホテルが向いているのです。自宅や大学の研究室だと宅急便や電話で気持ちの集中が中断されますし、新聞を読んだりメールを見たり雑誌に気を取られたりして、仕事を再開するのにもかなりの時間を無駄使いしてしまいます。

 というわけで、どうせ仕事場を新たに作るのなら、生活や雑務の雑音を遮断するような空間にしたい。いっそのこと、掃除もホテル同様、自分ではやりたくない。自分でやると、「そのうちやろう」でじきに乱雑になるか、掃除したとしてもそれに気をとられて仕事が進まなくなるに違いない。息子に頼んで小遣いを支給するなら、家庭内で資金が循環します。そんな連想が湧いてきました。
 連想はさらに横道にそれ、執筆に必須のコーヒーを淹れるために小さな冷蔵庫で豆を管理しようとか、仕事の机に小さなアクアリウムを置いて淡水フグを飼って和みたいとか、それには浄化装置のための電源が必要になるとか、脹らんでいきます。高円寺に「」というカフェがあるのですが、私は水草が庭園のように満載されているそこの開放型水槽の卓が好きで、落ち着いて読書できます。アール座が再現できればいいな、と思えてきました。
 また最上階は部屋をガラス張りにして、屋上が見えるようにすればどうか。屋上には盆栽状の「根洗い」を多数置いて、室内から鑑賞できるようにしたい。こちらは京都・神宮丸太町のガラス張りで根洗いに囲まれたカフェ、「アッサム」のイメージです。さらにテレビで見たJAXSONの置き型バスタブには、なんと引き出しに収納できるのもあるらしい。直径1mくらいの小さなものならかさばらず、湯船で草花を観賞できるかな、と妄想は広がります。


樹形図のような書庫

 それらは遊びですが、重要なのは、書庫の方です。ネットや古書通販が発達した現在、本は持たなくても構わない、図書館も併用すれば十分だという人もいるかもしれません。
 けれども私は、背表紙を見たり目次を眺めたりすることで文章のテーマを選びます。あるテーマで文章を書くとき、それに関連しそうな何冊かの本を連想ゲーム的に集め、ネットで資料を検索して補充します。30枚の原稿なら、本を10冊を選び、ネットで論文や資料を検索して追加すれば、仕事の半分は終わったもの同然です。それには「自分の書棚を眺めて考える」ことが欠かせないのです。
 とするならば、書庫はできる限りテーマごとに分類されていなければなりません。書き終えてから「あの本があった」と悔やむことがあるのですが、そうならないよう、連想に漏れがないよう本を並べておきたい。それには、連想に沿ってしばしば本を配置し直す必要があります。「経済」「政治」「哲学」といった一般的な分類ではなく、「流通」「景観」「公共建築」「都市再生」のような具体的なテーマに沿って並べ替えるわけです。書棚は、それがやりやすいものであって欲しい。
 そもそも私の頭は、ウィンドウズの「Explorer」のように樹状に情報が分類されています。テーマごとに枝分かれし、枝どうしは絡み合っています。同様に、書棚も樹形図が反映されるように整理したい。
 現在の借家の書庫も、一度に見渡しやすいよう居間の四辺を本棚で埋めているのですが、棚の上から天井までの空間と、部屋の中央部が無駄になっています。書庫専用に出来ていないのですから、これは仕方ありません。その無駄をなくすには、天井まで本棚が届いている必要があります。本は多くが高さ25cmほど。小さいのは新書と文庫、CDとDVD。大きいのは写真集や図鑑・事典と、資料入れのボックスです。棚はそれらに合う多様性をもってほしい。
 過去に集めた資料はこれまで袋や箱に入れて積んできましたが、結局は死蔵することになっています。知識は「持つ」だけでは駄目で「使う」ように転換しなければ意味がありません。死蔵して持っているだけの資料も、A4大のボックスに入れ棚の見える位置に置けば、使えるように生き返ります。書棚にかんするこうした課題を、堀部さんはどう解決してくれるのでしょうか。


建築の初期プラン

 そして2011年6月14日。堀部さん、堀部事務所の担当の塚越さんとともに阿佐谷北の土地に行き、また私の借家の蔵書状態も見ていただいて、喫茶店で打合せをしました。以上のような私の希望は、ここで堀部さんに伝えました。
 まだ土地購入は完了していませんでしたが、堀部さんが「とりあえずのプラン」を考えてみたということなので、7月1日に事務所を訪ね、当面のプランをうかがってみました。


 そのときの構想では、半地下、1階、1階半、2階、2階半、1階の壁面に書棚があり、床がエッシャーのだまし絵のようなスロープになっていて、蛇腹を引き上げた形で各階を繋いでいます。なるほどこれなら壁面は最大限に使えるし、部屋の中央部もスロープと吹き抜けだから無駄になりません。1階・2階・3階にはスペースがあるので、仕事場やトイレになります。
 最上階は外部に出られるようになっているので、外部の屋上に草を植えることも可能だし、万年青の鉢はここに置けます。内部には極小の風呂も設置できるかもしれません。素人の私が想像していた集密書庫案だと、地下階に重い集密書棚を置き、二階以上を仕事場にすることになっていました。もとより集密書庫だと堀部さんのデザインの腕の見せ所はないのですが、それにしてもプロは面白いことを思いつくなぁ、と感心したのです。


 けれどもこの案は、依然として堀部さんにとっては思いつきの域を出ないものでしょう。お茶をすすりながら、堀部さんはこう言いました。
「コストをそぎ落として、カネをかけずにどこまで美しい空間ができるか、突き詰めてみましょう。おカネをかけたら良い物ができても当たり前ですからね」
 この言葉は、ずいぶん頼もしく私の心に残りました。けれども堀部さんがしっかり考えを詰めたならこれ以上にどのようなものが出てくるのか、想像がつきませんでした。
 そして第5回に述べたように7月末に不動産屋へ入金をすませ、いよいよ書庫計画がスタートする運びとなったのです。


※「工事現場から」画像をクリックすると拡大します。
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