あのボビー・フィッシャーが日本にいると知ったのは十年前の朝日新聞だった。「王」と題されたその記事は、フィッシャーが東京のチェスクラブにふらりと現れたというもので、一九九二年、国連制裁下にあったユーゴスラビアでチェスの対局を行い、アメリカ政府から訴追されていると書かれていた。ジョージ・スタイナーの傑作ルポルタージュ『白夜のチェス戦争』や映画「ボビー・フィッシャーを探して」を通して天才棋士フィッシャーの名前は知っていたので、奇行を繰り返したあげく忽然と人前から姿を消した伝説の人物が日本にいると伝える原稿は強く印象に残った。
フィッシャーが成田空港で逮捕され、茨城の入国管理センターに拘留される騒ぎになったのはそれから一年半後のことだ。チェスプレイヤーでもある将棋の羽生善治が小泉首相に嘆願メールを送るなど支援運動が起き、アイスランドの市民権を得て出国できたのだが、病のために二〇〇八年、六十四歳で客死する。
日米政府がなぜそこまで厳密に、過去の試合に法を適用しようとするのか理解できなかった。チェスをして賞金をもらっただけで逮捕? 禁錮十年? この伝記を読み、フィッシャーが繰り返す反米・反ユダヤ的言説が九・一一以降のアメリカ政府を刺激したことが背景にあるとわかった。ちなみに試合の対戦相手や審判は何の処罰も受けていない。
ヒーローからアンチヒーローへ。冷戦下の一九七二年、レイキャビクで開かれた世界選手権で、ソ連の牙城を戦後初めて崩したフィッシャーは国民的英雄だった。彼の実力を脅威に感じたソ連は極秘に研究所を作って対局を分析したが、フィッシャーは個人の力で王者スパスキーを破った。アメリカのチェス人口はこのとき、飛躍的に増えたという。少年時代からの夢を叶えたフィッシャーは、だがその後、長い混迷期に入る。対局を放棄し、怪しげな宗教にはまり、ホームレス寸前の生活をしていたこともある。スパスキーとの再戦で二十年ぶりに表舞台に登場したフィッシャーにかつてのヒーローの面影はなく、試合には勝ったが、永久に祖国を追われることになる。
フィッシャーは「ドン・キホーテよろしく仮想の敵と絶えず戦う」運命にあった。ソ連に暗殺されるのではという恐怖、記者への不信や貧しい家庭に育ったことで生まれる他人への猜疑心から、実生活でも架空の盤上で駒を動かし続けることを余儀なくされ、心が休まらなかった。
子どものころからフィッシャーを知る著者は、何度も彼と対局、多くの重要な試合に審判として立ち会ってきたが、作品からは自分の影を消し去って、運命の悲劇から逃れられなかった人物として異能の天才の生涯を描く。佐藤耕士訳。