「おばちゃん、ふた山ちょうだいな。」
そうしていそいそと、うちに持ち帰っては、早速お湯を沸かし、出汁をとって、熱々の粕汁をたっぷり作る。人数分のお椀を用意して、「カジメ」をお椀の中に先に分け入れておく。それから、行くわよーと掛声をココロの中でかけて、熱々の粕汁を運び、お椀に流し入れる。さっきまではお椀の中で地味な黒っぽい色をしていた「カジメ」が、粕汁をかけられて、ぱあっと美しい緑色に変わっていくのだ。とろろんととろみも出て来て、でもシャキシャキの食感はそのままに、それはそれはおいしい粕汁。まだ寒さの残るこの時期にしか食べられないご馳走である。
そしてこの「カジメ」とは対照的な、薄くてツルツルと透き通った、鮮やかな緑色の「アオサ」。この「アオサ」が、朝市に並び始めると、とうとう今年も春がやって来るのかと、わくわくしてくるのです。乾燥したものは、お馴染みだけれども、やっぱり生のものを熱いみそ汁に放つのが、とびきりのご馳走。熱い汁の中でさらに鮮やかな緑色に、揺らいで、春の磯の香りをじんわり味わうことができるのです。
こんなふうに、贅沢に生の海藻がいただけるのは、ほんのひとときに限られるので、私はなんとなく焦ってしまう。
もちろん「ワカメの芽のしゃぶしゃぶ」も食べました。「岩海苔の粕汁」も食べました。「アオサのみそ汁」も食べました。「牡蠣と海藻の鍋」もいただきました。どれもこれも焦って、ついついたくさん食べてしまうのです。もう、海のミネラルとやらが、からだにいっぱい入った気がします。髪の毛にいいのかどうかは、わかりませんが、トロトロつるつると、口の中にしあわせが広がります。何度も何度も「カジメの粕汁」をつくって、とうとう朝市に「カジメ」が並ばなくなった頃、奥能登にも少しだけ暖かい風が吹いてきます。
海からの、竜宮城からの、お裾分け。ゆらりゆらゆら。とろりとろとろ。
そうしていそいそと、うちに持ち帰っては、早速お湯を沸かし、出汁をとって、熱々の粕汁をたっぷり作る。人数分のお椀を用意して、「カジメ」をお椀の中に先に分け入れておく。それから、行くわよーと掛声をココロの中でかけて、熱々の粕汁を運び、お椀に流し入れる。さっきまではお椀の中で地味な黒っぽい色をしていた「カジメ」が、粕汁をかけられて、ぱあっと美しい緑色に変わっていくのだ。とろろんととろみも出て来て、でもシャキシャキの食感はそのままに、それはそれはおいしい粕汁。まだ寒さの残るこの時期にしか食べられないご馳走である。
そしてこの「カジメ」とは対照的な、薄くてツルツルと透き通った、鮮やかな緑色の「アオサ」。この「アオサ」が、朝市に並び始めると、とうとう今年も春がやって来るのかと、わくわくしてくるのです。乾燥したものは、お馴染みだけれども、やっぱり生のものを熱いみそ汁に放つのが、とびきりのご馳走。熱い汁の中でさらに鮮やかな緑色に、揺らいで、春の磯の香りをじんわり味わうことができるのです。
こんなふうに、贅沢に生の海藻がいただけるのは、ほんのひとときに限られるので、私はなんとなく焦ってしまう。
もちろん「ワカメの芽のしゃぶしゃぶ」も食べました。「岩海苔の粕汁」も食べました。「アオサのみそ汁」も食べました。「牡蠣と海藻の鍋」もいただきました。どれもこれも焦って、ついついたくさん食べてしまうのです。もう、海のミネラルとやらが、からだにいっぱい入った気がします。髪の毛にいいのかどうかは、わかりませんが、トロトロつるつると、口の中にしあわせが広がります。何度も何度も「カジメの粕汁」をつくって、とうとう朝市に「カジメ」が並ばなくなった頃、奥能登にも少しだけ暖かい風が吹いてきます。
海からの、竜宮城からの、お裾分け。ゆらりゆらゆら。とろりとろとろ。