ある夜、輪島市内の居酒屋で、うしろから声をかけられた。
「あんたぁ赤木さんやねぇ。私は、あんたのことよう知っとるんやけどなぁ。内屋の御院主さんから何度か話を聞いててなあ」
内屋の御院主さんというのは、僕の住む集落にある「正円寺」というお寺のご住職。
「御院主とは同級なんや」
とすると、六十八、九才のはずだが、楽しそうに連れの方とビールをやっている。
「まあ、どおぞ」と勧められて隣に座り、いっしょに飲み始める。話を伺うと、挽物をする職人さんだった。輪島塗の木地職には、轆轤を挽いて椀などを作る挽物師、薄くした板を曲げて輪っぱを作る曲物師、彫刻のように材料を刳り抜いて匙などを作る刳物師、板と板を組み合わせて箱などを作る指物師がある。挽物、曲物、刳物、指物、と漆の器は木地仕事の種類によって四つに大別することができ、それぞれに専門の職人がいるのだ。この日出会ったのは、十五で職人になって、すでに半世紀を超える年季があるという池下満雄さんだった。いちど仕事場をお訪ねする約束のあと、住所と電話番号を手書した箸袋を渡された。
数日後に訪ねた池下さんの家は、輪島市街の東側、観音町という歓楽街のはずれにあった。門をくぐると右手に石造りの立派な蔵がある。仕事場に通されると、そこはうっとりするような場所だった。きれいに道具や材料が片付けられているわけでも、特別な材料が建物に使われているわけでもない。古い木造校舎の教室を彷彿させるような建物。使い込まれた道具。そこに積み重ねられた時間が美しいのだ。今は池下さんお一人で仕事をされているそうだが、かつて輪島の景気が良かった時代には、何人もの職人さんがここで木地を挽き続けていたのだろう。轆轤が何台か据え付けられ、そのまわりに雑然と荒型が積み上げられている。荒型というのは、椀などの木地を削り出す前の円柱形をした木の塊で、これから挽く器の形に合わせて大まかに内側が刳り抜いてある。