ときどき食べることが怖くなる。生まれてからこのかた五十年、朝、昼、晩と僕は食べ続けている。一日として途切れることなく。食べ物のほぼすべてが、もとは動物、植物といった生命に由来する。直接手を下さずとも、間接的に殺戮を繰り返し、その血肉を口に運び、僕は貪っている。文化が洗練を遂げ、その事実をいかに隠蔽しようとも、本質的にやっていることは何も変わってはいない。僕が生きている限り、この先も食べ続け、あまたの生命の残骸が僕の身体の中を通り抜けていく。そのことが、なぜだか怖くて仕方がない。
「どうして断食なんかやるの?」と、人に問われても答えるのがなかなか難しい。せいぜい「趣味です」と、お茶を濁すのが精一杯。「食べるのが怖いからです」と答えても、「なんのことやら?」だろう。いつからその習慣が始まったのかと思い出してみると、二十年ほど前、自分の器を作り始めた頃からかもしれない。最初は、体調の維持、健康にいいと人から聞いたから。それから、近頃はメタボなる言葉が発明されて、僕は病院にも健康診断にも行ったことがないけれど、おそらくその仲間に入れられてしまいそうなのを、一気に解消できるというメリット?も。そう説明すると、わかってもらえるけれど、正確ではない。やはり「食べるのが怖いから」なのだ。