餅つきの話題がつづいているけれど、更にその副産物について、夢のようなお話し。「密造酒」という音の響きに、どこか身体の芯の方に震えるような感覚があるのは、僕だけだろうか。いけないことであればあるほど、こっそりと、ひっそりと、楽しむことのよろこびは、なににもかえがたい。そんなクセなのです、僕は。
畑を育て、山や海で獲物を狩り、糧を得る。土をひねり、木を刳り、器を自分の手で拵える。味噌と醤油を仕込み、天日で塩を干し、季節ごとの野菜を漬け、魚や肉を干し保存する。それと同じように、この手で酒を造ることができたなら、どんなにステキだろうと、夢想する。でも、それはかなわない夢。自分が飲むためであっても、家庭で酒を造ることは、法律で禁じられている。
元日の夜、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを聴きながら、ワルツとともに僕はクルクルと回っていた。クルクルと回りながら、僕はいつのまにか眠りに落ちた。暮れから年初めに弟子たちが次から次と挨拶に来て、どれだけの酒を飲んだだろう。いつのまに年が明けていたのか。そういえば、餅つきはもう終わったのかしら。途中で酩酊して、すっかり記憶が途切れたまんまだ。せいろや、臼から湯気がもうもうと、辺りに籠もって、隣にいる人が誰かももうわからない。雪がどっさり積もってから晴れあがると冷え込んで、雪面から湧き上がるように霧が立ち、自分の手や足さえも見えなくなる夜がある。今は、いったい夜なのか、昼なのか。ここは、どこなんだろう。白い光の闇の中で、僕はせいろから蒸し上がった餅米を、さらし布の上に広げて放冷している。両手でかき混ぜるように、蒸し米を一面に広げると、目の前で巨大な人工衛星が回転している。聞こえてくるのは、シュトラウスの交響詩だ。人肌になったくらいで、米麹を崩しながらぱらぱらと振りまいて混ぜ込む。気がつくと、右からも左からも腕がにゅうと伸びてきて、同じ作業をしている。