「ほんとうに、ぅまいもんは、四里四方の内にある」と、能登の人からよく聞いた。「ぅまいもん」とは、「うまいもの」のことで、最初の「ぅ」が、ほとんど発音されていないので、能登弁に慣れない耳には「まいもん」としか聞こえない。この言葉も含めて、二十数年前に初めて訪ねた奥能登で、年配者と会話すると、まるで外国に来てしまったかのように、何を仰有っているのかさっぱりわからない状態がつづいた。時間とともに、謎の言葉の意味が聞き取れるようになったころに、この土地深くに染みこんだ食文化のほんの片鱗が見えるようになってきた。それは、幸いと言っていいのかどうか、僕自身が能登に暮らし始めて、経済的に貧しく、日々の糧の多くをわずかな畑作と狩猟採取と贈与から得ざるをえなかったため、実体験的に知ることができたのだろう。「四里」とは、およそ十六キロ。その中心に暮らし、歩いて出かけて行って、一日のうちに戻って来られる範囲のことを言っている。その囲いのなかには、この場所の、まさにこの瞬間、しかない。巡る季節とともに、産み出される豊穣をじっくりと味わい、楽しむことこそが人生ではないか。ほんとうに豊かなものは、その外側にはおそらく無い。