アート

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06 堀部建築との出会い|松原隆一郎+堀部安嗣 阿佐ヶ谷書庫プロジェクト




堀部安嗣との出会い

 私は今回の書庫建設で、堀部さんに仕事をお願いするのは4回目となります。初回は阿佐谷北3丁目にある現在の自宅(1997年、リノベーション)。二度目は息子の部屋の増築。三度目が家内の経営する阿佐谷北1丁目の器も販売するカフェ「ひねもすのたり」(2006年、リノベーション)です。

 もちろん初回の自宅にこれまで15年間住み、気に入ったからこそ仕事を続けてお願いしてきたのですが、実は最初に堀部さんの名前を知ったのは私ではありません。
 資金の目処が立ち、阿佐ヶ谷に中古家屋を探し始めてしばらくした頃、家内が「この人に頼みたい」と、建築雑誌に掲載された写真を持ってきたのです。
 それは「南の家」および「ある町医者の記念館」の写真で、静謐な空間に私も惹かれ、家内がさっそくに電話をして堀部さんと面談することになりました。1997年のことです。


南の家
鹿児島県薩摩郡 1995年
写真提供=堀部安嗣建築設計事務所


ある町医者の記念館
鹿児島県薩摩郡 1995年
写真提供=堀部安嗣建築設計事務所



 私自身、すでに景観論を書き始めていました(2002年に『失われた景観』PHP新書として出版)し、『消費資本主義のゆくえ』(ちくま新書)でも財を「持つこと」よりも「使うこと」の重要性を主張しつつありました。つまり私は、街並みと暮らしには大いに関心があったのです。
 けれども住居となると、アパート暮らしの長かった自分が家を取得するなど実感がなく、具体的な「住みたい家」のイメージは持ちあわせていませんでした。だから私が建築雑誌を漁ったとしても、堀部さんにたどり着いたかどうか分かりません。したがって祖父母(の遺産と仏壇)と堀部さんの接点は、厳密には私ではなく家内だったのです。

 これはいささか不思議な縁ではあります。祖父母の記憶が消しがたいものでなければ、私はわざわざ書庫を新築しようとはしませんでした。しかし書庫建設を決心したとしても、家内がいなければ堀部さんにはたどり着かなかったのです。しかも1997年に家内がお会いした段階で、堀部さんは現在のようには名の通った建築家ではありませんでした。専門家の評価や雑誌の宣伝、知人の推薦といったものはなく、たった数葉の写真だけが手がかりだったのです。それら数葉の写真を見た時に家内が得た「直感」が、祖父母と堀部さんを結びつけたのでした。

 では、その「直感」とはどんなものだったのでしょうか。以下は、家内との対話です。


白井晟一から内藤廣、そして堀部安嗣へ

――建築には、もともと関心があったの?僕は仕事が忙しかったし建築には不案内だったんで、「任せて。自信あるから」という言葉に従ってノータッチだったんだけど。

松原幸子 もともとは書が好きなんだけど、二十歳くらいの頃だったかに、新聞で書もする人として建築家のが紹介されていたの。それで白井晟一の作品集を見てみたら、建築物に精神性を感じた。ただ建物が建っているのではない、何かの空気というか。それで神谷町のノアビルや浅草の善照寺、親和銀行、松濤美術館を見に行った。
 それから建築にも興味を持つようになっていろいろ尋ね歩いて気づいたんだけど、有名な建築家だからといって、白井晟一作品のような精神性があるわけじゃないのね。白井は特別だったと分かってきた。


ノアビル
東京都港区 1974年
©新潮社写真部



渋谷区立松涛美術館
東京都渋谷区 1980年
©新潮社写真部




――その頃まだ白井は存命だったっけ?

幸子 1983年に亡くなってた。でも最近、新江古田の自邸(虚白庵)が取り壊されることになって初めて中に入ってみて、自分が住んで落ち着ける家じゃない、とは思った。リラックスできない。厳格過ぎるっていうか。ありえない話だけど、今もし頼めるとしても、頼まないかな。

――それはそうだ。どんな名建築でも暮らしにくかったら、僕らでは資金的に取り返しがつかないからな。

幸子 それで建築について好きな空気感はインプットされたっていう自覚はあったので、建築雑誌をいろいろ見ていた。なかなかピンとくる家はなかったんだけど、そんな中で目に飛び込んできたのが内藤廣さんの中古マンションのリノベーション(杉並「黒の部屋」1993年で、コンクリが剥き出し。そこに中川幸夫の「桜」の書と草間弥生の絵が飾ってあって。
 リフォームでこんなことができるんだって驚いて、家を買ったあと真っ先に電話してみたの。「中古の家をリフォームできますか」って。でも「今、仕事がいっぱいでリノベーションまで手が回りません」って丁寧に断られた。


杉並・黒の部屋
杉並区 1993年
写真提供=(株)内藤廣建築設計事務所




――内藤さんが東大の土木の先生になられる前だから、学内のツテで僕が頼むこともできなかったしね。

幸子 でも内藤さん関連の記事には目を通すようにしていたので、内藤廣・川口通正の特集「和の素材・和のかたち」が組まれていたインテリア季刊誌『CONFORT』を手に取ったの。そうしたらもう一人、堀部安嗣という知らない人の名前で「南の家」の紹介記事が出ていた。
 それには「ビビッ」ときたのね。名前も初めて見たけれども、何の迷いもなく、「この人にしよう」と思った。窓を大きくとって、梅の木が真ん中に見えて。リビングの空気に詩情が感じられたの。「一目惚れ」っていうか。壁の漆喰や板張りの床、畳に、素材感ていうかテクスチャーが感じられる。化学的工業的ではない、自然な感じっていうか。
 あとで堀部さんから葉書をもらったとき、抽象画家のド・スタールの絵が使われていた。私もド・スタールの絵が好きだったから、驚いた。その時、堀部さんはド・スタールの収蔵されているコートダジュールのピカソ美術館みたいな建物をいつか建てたいと言っていたわ。


リノベーションの依頼をする

幸子 それで電話をして、リノベーションなんですが、と言ったら堀部さんは「はい、是非」という返事で。それで小石川のその頃の事務所でお会いしたら、あまりに若くてびっくりした。学生上がりのホヤホヤというか。でも飾らない感じに好感が持てたし、作品は老成していて、自分ではこの人で大丈夫という自信があったの。
 だから、「白井晟一に通じるところがあると思う」と言ったの。堀部さんはどう思ったか分からないし、もっと柔らかな精神性だけど。それで受けてもらえることになった。私としては、ブランドになったりしていない人を自分だけの価値基準で選べたのがよかったんだと思う。情報に左右されないで、自分が感じたままでお願いできたから。だから「私たちと一緒に育っていく家にしてほしい」と頼みました。
 そうしたら設計の構想を練っている時にも、私は南向きが良いに決まってると思っていたのに、「北の光はよいものですよ」と教えてくれたり、「高い天井だけがいい訳ではなく高さと周囲とのバランスが大切」というようなことを言っていた。そうやって建築についての認識を建築家に変えられながら、設計が進んで行ったんだわ。


施主と建築家のお見合い

 当時、堀部さんには東京近辺にはまだ自作がありませんでした。そこで構想を練る段階で堀部さんに誘われ、私たちは三人で中井にある林芙美子邸を訪ねました。私は、自分は家屋が周囲の景観から断絶して自己主張するのは嫌いだということを自覚していたし、堀部さんの建築は窓の切り方が絶妙で、窓を額縁のようにして外の景色が一幅の絵のように見えるところが素晴らしいと感じる、居間で二人して庭を見ながらこっそり寝そべった時、彼にそう伝えました。

 家内は家内で、玄関にリチャード・セラの「ダブル・リングス」という、書みたいな大きな絵をかけたい旨などを喋っていたようです。堀部さんは設計の構想に入る前に施主とやりとりすることを「お見合い期間」と呼んでいるようですが、その時期に私たちは互いの家に対する思いをかなり密にかわすことができたのです。

 現在、拙宅には、しっくいの壁に、家内が買い求めた様々な抽象絵画が掛けられています。堀部建築の特徴である北向きの大きな窓際はタイルの棚になっていますが、そこには前川秀樹の木彫の女性像が置かれています。前川はくすんだような色合いで不思議の国のアリスに出てきそうな動物たちや人物像を彫る作家ですが、この像にしてもそのタイルに置かれるために生み出されたかのように馴染んでいるのです。

 まだ存在しなくても、いつか必然のように出会うもの。そうしたものたちが堀部さんが設計する家に集まり、出会い、馴染んでいっています。
 また「ひねもすのたり」では、赤木明登の漆器、小野哲平の陶器、長谷川まみのスプーンなどが堀部建築の透明な空気感に包まれて同居しています。

私の祖父母の仏壇や昔から実家にあった無名の作家の風景画も、そのようにして「書庫の家」をついの住まいとしてくれるのかと期待が膨らんでいったのです。


カフェ ひねもすのたり
東京都杉並区 2006年





※「工事現場から」画像をクリックすると拡大します。
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