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05 阿佐ヶ谷の土地柄|松原隆一郎+堀部安嗣 阿佐ヶ谷書庫プロジェクト




用途地域の条件

 家内が天沼に物件を見つけてきました。南向きの10坪ほどの角地で、自宅からも自転車なら5分もかからない好立地です。これは即日に他の方が契約してしまったので縁のない話になりましたが、調べてみると杉並区の都市計画では「第一種低層住居専用地域」に指定されていました。それは都市計画法上の用途地域の一つで、中でももっとも厳しい規制がかけられている区域です。容積率が100%、建坪率が角地だと緩くて60%で、本が置ける上限は容積率からして10坪ということになります。これだと、6坪と4坪の2階建てしか建てようがありません。自宅のある阿佐谷北からさほど遠くない地区は、ほぼ「第一種低層住居専用地域」となっています。
 ネットで区役所の都市計画課が指定するを見ると、容積率200%の「第一種中高層住居専用地域」は線路に沿った地区になります。「住居専用地域」で新築の建物で本を多く置こうとして3階建てを望むと線路近くになり、そこは震災があれば火災が想定されているのです。3階建てにできそうな地区は実は相当に限られています。書庫を建てようとするなら、その中から絞っていくしかありません。


書庫向きの土地

 そうこうするうちに、銀行から紹介されたM不動産のHさんから連絡がありました。更地の土地がもう一箇所見つかったというのです。2011年6月のことでした。早稲田通り沿い、路地との東南の角地で、阿佐谷北6丁目の交差点を高円寺に向けて200~300m行った杉森中学の筋向かい。4.39m、6.47m、4.71m、6.25m、面積にして28.70㎡。台形をさらに歪めたような四角形です。
 用途地域は「近隣商業地域」、高度地区は「第二種高度地域」。うれしいことに建坪率は80%で、容積率は300%あります。これならば本と仏壇を収納できます。商業地域といっても周囲に商店はまばらで、車の行き来は相当あって騒音はかなりのもの。アパートや3階建ての家が並んでいます。阿佐ケ谷駅からは徒歩14分とのことですが、自転車で移動する私には問題ありません。自宅からも5分もあれば行けます。相続した遺産の半額ほどの値段でした。
 Hさんによると、この土地は東側の路地に面した辺と路地との間に幅最大40cmほどの三角形の切れ端のような土地があって、厳密にはこれが「私道」だというのです。昭和20年代から区道と私有地の整理を重ねているうちに土地の切れ端があちこちに出来た名残りだとのこと。しかし私有地には違いないので、仮にこの東の辺に玄関を造ったとしてその狭い私有地に所有者が塀を建てでもすれば、出られなくなります。現実的には放棄地なのですが、この部分を使わせてもらうとの承諾は必要になります(無事、得ることができました)。
 さっそく堀部安嗣さんに連絡し、土地を見てもらいました。天沼の第一種住宅専用地域も見てもらっていましたが、そちらだと建築物の構想に相当な制限がかかると見ていたらしく、「地下を掘れば四階まで使える可能性もあるから、集密書庫でなくとも吹き抜けにもできるし、クリエイティブになります。RC(reinforced concrete:鉄筋コンクリート)ならこの土地が生きますよ」とつぶやきました。そう語りながらもじっと宙を見つめ、いろいろと想像を巡らせている様子でした。


えび茶の街、阿佐ヶ谷

 もともと阿佐ヶ谷駅の北一帯は戦前は大地主の地所で、田んぼや畑だったそうです。私の自宅は阿佐ヶ谷駅と北6丁目の交差点の中間辺りを西に入った阿佐ヶ谷北3丁目にありますが、一帯の地主であった「T家」が隣接し、自宅を購入した相手もTさん、現在の東隣もTさん、北隣も井戸や蔵、玄関を覗くと「電話部屋」のあるT家です。阿佐ヶ谷駅の北口、西友の隣にある杉並第一小学校は区でもっとも古い小学校ですが、その入り口に明治時代の地図があり、それによると駅の位置の北方面にはT家のみ記されており、その間はすべて田んぼですから、T家は今で言えば駅まで所有地だけを伝って行ける大地主なのでしょう。Tさんはみなさん親族筋のようです。

 建築史家の陣内秀信は阿佐ヶ谷について、「まだ車のない時代、歩くという時代に築かれた街のストラクチャーに原構造を委ねている」と述べています(『ラピュタ通信』創刊号1999.12)。
 確かに駅から拙宅までは細い路地がくねくねと続きます。かくれんぼにもってこいのような分岐の仕方ではありますが、それでいて駅まで最短距離の道を選ぶことができるのは、これらの細道がかつて田んぼの畦道であったことを物語っています。
 紹介された土地に面した路地も、ちょうどそうした畦道だったのでしょう。それを自動車も走れるようにまっすぐに整備した際、切れ端が出てしまったのです。
 商店街(現在のパールセンター)は阿佐ヶ谷駅南口付近から青梅街道に向かって伸びているという印象が一般には持たれていますが、実は戦前に青梅街道の方から賑やかになって商店が一軒また一軒と増えていき、JR阿佐ヶ谷駅南口に至ったといいます。写真は和菓子屋の「とらや椿山」さんからお借りしたもので、阿佐ヶ谷の生き字引である旦那さんからそう伺いました。




 川本三郎の『郊外の文学誌』(岩波現代文庫)の「空襲の被害の少なかった―阿佐ヶ谷」という章によれば、阿佐ヶ谷は大正時代においてもまだ武蔵野の自然が残っており、文士にとっては「自然の中に隠れ住む」ことを味わえる西の郊外(西郊)だったといいます。北原白秋も没するまで駅北口を線路沿いに高円寺に向かった一角(5丁目)の洋館に住んでおり、この辺りは田園と都会の融合した雰囲気を保っていました。
 とくに昭和20年代までは庭と生け垣と洋館の一体化した昭和モダンの家が多かったそうですが、それが簡易アパートの密集地帯となったのは、相続税を払うために庭にアパートを建てる家が増えたからだと川本氏は述べています。実際、そうした傾向はいまなお続いており、街のシンボルとさえいえそうな桜の樹を持つお屋敷がある日更地になり、そこに何軒もの分譲住宅が建ったりしています。「文士村」と言われた阿佐ヶ谷は、相続税によってアパートとマンションの街となり続けているのです。

 それでも「洋館」や「昭和モダン」の家を見つけることは、いまなお不可能ではありません。同じく北5丁目にある阿佐ヶ谷教会近くに知人のイラストレーター(巨匠です)が借家していますが、その家もえび茶色の木造、小さな庭と洋室を持つ一軒です。町内に点在するそうした家々を想像上で合成したのが、宮崎駿『となりのトトロ』の家でした。




 阿佐ヶ谷の古い洋風のお宅は木造に「えび茶」を塗っているのですが、杉並区ではこの色を重視しているらしく、住居表示のプレートもえび茶です。というわけで景観保全主義者である私は拙宅もえび茶にしています。

 もっとも、杉並区が緑溢れる土地柄かというと微妙なところがあります。杉並区内には高木に囲まれたそうした屋敷森を有するお屋敷が40軒ほどあり、とりわけ下井草駅南から善福寺川にかけては巨大な森や竹林を擁するお屋敷が点在していて、自転車で巡ると高木と鳥の「チ・チ・チ」となく声に導かれて次のお屋敷にたどり着くといった具合です。鳥たちは屋敷森を往き来しているのではないかとすら思えるのです(下図参照。赤丸が屋敷森のある家、+は区役所)。
 しかしそうした杉並区北部のお屋敷も、森は維持したいものの相続税対策に頭を悩ませていると言われます。善福寺川近くのN家はお屋敷を物納したと聞きました。図のように、JR中央線の阿佐ヶ谷~西荻窪間の北側には、屋敷森が見当たりません。それは相続によりお屋敷が手放され開発が入ってマンションが建ったということなのでしょう。つい最近も高井戸東3丁目の屋敷森が開発手続き中となっています。
 そうしてみると、阿佐ヶ谷の北側はまだ屋敷森が4軒維持されているだけ幸運とも言ます。3丁目のT家は屋敷森が鬱蒼と茂り、ウグイスが居着いて「谷渡り」を見せるという緑溢れるお宅ですが、他に阿佐ヶ谷駅周辺ではA家が北口近くに、パサージュの金物屋さんの本家のW家が馬橋公園脇に、早稲田通りの南で杉森中近くのE家と4軒が健在なのです。




「谷」の街、阿佐ヶ谷

 そしてこの阿佐ヶ谷という土地について、いまひとつ思い出したことがありました。
 2005年の9月4日に大雨が降り、阿佐ヶ谷も駅前の飲み屋街(一番街)などが浸水したのですが、実は阿佐ヶ谷は「谷」にあたります。杉並区が発行しているによるならば、杉森中学の西隣、ちょうどこの土地と早稲田通りを挟んだ南側は「浸水の可能性あり」のマークが小さな領域で付けられています。

 そういえば阿佐ヶ谷が「谷」であるというのは、中沢新一『アースダイバー』によれば、縄文時代の地球温暖化と関係があるのだそうです。というのも縄文時代には現在よりも5度は気温が高く、何mかは海面が高かったのです。そのせいで山手線の東側は海岸で、そこから吉祥寺まで湾が蛇行しながら細く伸びていました(そうした湾はもう一本南で平行に、渋谷にも伸びていました)。「四谷」とか「谷」が付く地名はその頃の岸に当たっており、そのせいで阿佐ヶ谷にも貝塚があるのです。中沢氏によれば、阿佐ヶ谷駅前の神明宮も湾岸に沿っていたとか。
 中沢説はいつもの通り毀誉褒貶あるようで、『アースダイバー』の海進地図が大げさにすぎるという批判があるそうです。けれども大水に襲われた阿佐ヶ谷で線路沿いの地下室が軒並み浸水したのは、私が目撃した事実です。中沢説は、看過できません。

 そこで参考までに、知人である漫才「爆笑問題」の太田さんの奥さん(光代さん)に尋ねてみました。彼女たちのお宅は阿佐ヶ谷の某ブロックにありますが、その大雨で地下室が浸水し、改築のため一年間も転居を余儀なくされたのです。
「コンクリの家を買ったのに、30平米くらいの地下室が膝まで水に浸かったわ。仕方なく、高床式の家に建て替えたの。水脈があるから、地下室に本を置くのって薦められない。本は大事なんでしょ?」
 それはそうですが、防災・用途地域・浸水と条件を重ねると、この土地以外では書庫が建たないのも事実ではあります(ちなみに前回示した区の防災マップでは、この土地を角として6丁目は危険度低い、となっています)。そこで念のため、ボーリングをすることにしました。一日かけた地盤調査の結果、掘り起こすと関東ローム層に突き当たるが、そこまで半地下は掘ることが出来る。丸々の地下一階まで掘ると湿気が充満する危険性は否めない、とのことでした。

 地盤調査を受けて、2011年の7月28日、いよいよ土地の購入となりました。Hさんと司法書士の立ち会いのもとで土地の売り主である不動産会社の社長と契約を済ませました。社長は浅黒い肌の美人秘書を伴っておられました。美人秘書が契約書に印を押す指の爪に、ブルーと白の縞々ネイルアートが施されていたことが妙に印象に残っています。ともあれ、これで後戻りできなくなりました。いよいよ、堀部さんの手に建築計画を委ねることになったのです。

※「工事現場から」画像をクリックすると拡大します。
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